神田佐久間町四丁目(読み)かんださくまちようよんちようめ

日本歴史地名大系 「神田佐久間町四丁目」の解説

神田佐久間町四丁目
かんださくまちようよんちようめ

[現在地名]千代田区神田佐久間町四丁目

明治二年(一八六九)神田佐久間町四丁目元地・同裏町と神田富松かんだとみまつ町元地が合併して起立。同五年北側の旧上野安中藩板倉家中屋敷と旧富松町元地との間の武家地編入。沿革図書によると、編入地は延宝年間(一六七三―八一)本多孫太郎邸、元禄一一年(一六九八)新町屋、享保三年(一七一八)は火除地、明和四年(一七六七)は百姓平次郎拝借地、天明三年(一七八三)は小川七郎左衛門邸、寛政元年(一七八九)は北が同人、南側が永瀬七郎左衛門邸、文化三年(一八〇六)には北側が山上藤一郎邸、南側が河辺久太郎邸、天保一五年(一八四四)は北側が杉槍次郎邸、南側は明地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む