朝日日本歴史人物事典 「神谷源内」の解説
神谷源内
江戸後期の中津藩(中津市)藩士。名は弘孝。神谷家は藩主奥平家の譜代の家臣で,代々源内を名乗ったらしい。藩主奥平昌高に仕え,蘭癖藩主に倣ってオランダに傾倒,文化7(1810)年に商館長ドゥーフから「ピーテル・ファン・デル・ストルプ」の蘭名を受け,シーボルト『江戸参府紀行』には,オランダ語を巧みに操る昌高の側近として数回登場する。江戸期に刊行された唯一の日蘭辞書『蘭語訳撰』(1810)の編纂,出版に大きな役割を果たした。横文字の名刺を少なくとも3種用い,多くの蘭学者,オランダ人と親交があり,書簡,贈物をさかんに交換していた様子が,オランダ史料からうかがえる。<参考文献>鈴木博解題『蘭語訳撰』,斎藤信訳『ジーボルト・江戸参府紀行』
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報