朝日日本歴史人物事典 「策伝」の解説
策伝
生年:天文23(1554)
室町末から江戸初期にかけての浄土宗の僧で,落語家の元祖とされる。諱は日快。飛騨国(岐阜県)高山城主金森長近の弟。幼少に美濃の浄音寺で出家,京都禅林寺(永観堂)で浄土宗の宗義を学ぶ。山陽地方を遊化し,備前国大雲寺,備中国誓願寺,備後国全政寺などを創建する。いったん美濃浄音寺に帰ったが,慶長18(1613)年に京都誓願寺に入って55世となる。誓願寺塔中竹林寺に住み,そこに草庵を構え安楽庵と号し,茶道をたしなみ狂歌を作り,笑いを取り入れた説教を行った。後水尾天皇に召されて清涼殿で曼陀羅を講釈し,聴衆を感動させたといわれる。また文人,茶人として知られ,豊臣秀吉や当代の文人たちと交遊した。『策伝和尚送答控』は,そのときの交遊録である。京都所司代板倉重宗の求めに応じて『醒睡笑』(8巻)を著し,寛永5(1628)年に重宗に献呈した。この本は,1030余りという膨大な数の笑話を収めており,他に類例はなく,後世の落語,小咄に大きな影響を与えた。これによって策伝は,落語家の元祖と呼ばれることになった。その自序には,「こしかたしるせし筆の跡をみれば,をのずから睡を醒ましてわらふ。さるままにや醒睡笑と名付」と書名の由来が記されている。同7年には『百椿集』を著す。<参考文献>関山和夫『安楽庵策伝』,鈴木棠三『安楽庵策伝ノート』
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報