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安楽庵策伝 あんらくあん さくでん

美術人名辞典の解説

安楽庵策伝

安土桃山・江戸前期の僧・茶人美濃生。名は日快、号を醒翁、俗名を平林平太夫。京都誓願寺五十五世法主となり紫衣を勅許される。茶道を古田織部に学び、晩年は誓願寺の境内に安楽庵を結んで風流の道を楽しんだ。近衛信尋小堀遠州・松永貞徳らと交わる。自作及び蒐集した笑話を集め『醒睡笑』を起筆板倉重宗に献呈した。落語家の祖といわれる。寛永19年(1642)寂、89才。

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百科事典マイペディアの解説

安楽庵策伝【あんらくあんさくでん】

近世初頭の説教僧,茶人。7歳のとき美濃の浄土宗西山派浄音寺で得度し,やがて京の禅林寺で智空甫叔に就いて15年ほど修行。その後,山陽各地で布教活動につとめ,1613年京の誓願寺の55世法主となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安楽庵策伝 あんらくあん-さくでん

1554-1642 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)23年生まれ。浄土宗。京都禅林寺で智空に師事,慶長18年京都誓願寺55世。板倉重宗のすすめで笑話集「醒睡笑(せいすいしょう)」をまとめ,落語の祖といわれる。寛永19年1月8日死去。89歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。法名は日快。別号に醒翁。

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世界大百科事典 第2版の解説

あんらくあんさくでん【安楽庵策伝】

1554‐1642(天文23‐寛永19)
近世初頭の説教僧。日快と号す。美濃の人。飛驒高山城主金森長近の弟。幼少時代に美濃山県の浄音寺で出家して浄土宗の僧となり,京都東山禅林寺(永観堂)で修行。長じて山陽・近畿地区で布教活動に従事し,いったん美濃の浄音寺に帰ったが,1613年(慶長18)に京都の大本山誓願寺55世住職となる。同寺在住中に《醒睡笑》8巻を著し,同書が完成した23年に誓願寺塔頭(たつちゆう)竹林院を創立してここに隠居。茶室の安楽庵に風流の人士を招いて茶事をなし,狂歌を楽しむ。

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大辞林 第三版の解説

あんらくあんさくでん【安楽庵策伝】

1554~1642) 江戸初期の説教僧・笑話作者・茶人。俗名未詳。京都、誓願寺住職。晩年は誓願寺塔頭竹林院に隠居して茶室安楽庵を営み、風雅を楽しんだ。狂歌作者として広く諸人と贈答。安楽庵茶道の流祖。著「醒睡笑」「策伝和尚送答控」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安楽庵策伝
あんらくあんさくでん

[生]天文23(1554).美濃
[没]寛永19(1642).1.8. 京都
安土桃山時代~江戸時代初期の笑話作者,説教僧。俗名,平林平太夫。別号,醒翁。幼時から仏道に入り,京都誓願寺の住職となる。咄 (はなし) を得意とし,狂歌を多作,また茶道もたしなんだので,豊臣秀吉,板倉重宗,関白近衛信尋などの権門に出入りするようになり,烏丸光広,松永貞徳,林羅山,金地院崇伝ら当時の一流知識人との交流もあった。著書『醒睡笑 (せいすいしょう) 』は,板倉重宗の求めによってつくられたもので,咄本 (はなしぼん) の最初の作として,後世への影響が著しい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安楽庵策伝
あんらくあんさくでん
(1554―1642)

近世初頭の説教僧。美濃(みの)国(岐阜県)の人。幼年期に浄土宗の僧となり、青年時代に山陽、近畿地方で説教僧として活躍。美濃の浄音寺住職を経て、1613年(慶長18)京都の大本山誓願寺55世住職となる。同寺在住中に京都所司代板倉重宗(いたくらしげむね)の依頼で笑話本『醒睡笑(せいすいしょう)』8巻を著作し、同書が完成した1623年(元和9)に誓願寺塔頭(たっちゅう)竹林院に隠居し、茶室安楽庵で風雅な生活を送る。この間に『百椿集(ひゃくちんしゅう)』『策伝和尚送答控(おしょうそうとうひかえ)』を書く。策伝は僧、茶人、文人としてそれぞれの道に名を残したが、快弁をもって落し噺(ばなし)を説教の高座で実演し、その話材を『醒睡笑』に集めたため、落語の祖としての名声がもっとも高い。[関山和夫]

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世界大百科事典内の安楽庵策伝の言及

【園芸】より

…以降,貝原益軒の《花譜》(1698),伊藤三之丞(伊兵衛)の《花壇地錦抄》(1695)と続き,江戸時代を通じ70におよぶ園芸書が書かれる。安楽庵策伝の《百椿集》(1630)をはじめ,ツツジ,キク,サクラ,ボタン,ウメ,アサガオ,ハナショウブ,ナデシコなど花の専門書が出版され,さらにモミジ,カラタチバナ,オモト,マツバラン,セッコクなど葉を観賞の対象とした多数の品種を成立させた。それらは世界に類をみず,増田金太の《草木奇品家雅見(かがみ)》(1827)と水野忠暁の《草木錦葉集》(1829,13冊中6冊は未完)に集大成された。…

【醒睡笑】より

…8巻。安楽庵策伝が,京都所司代板倉重宗の依頼によって1615年(元和1)ごろに筆を起こし,23年に完成,28年(寛永5)3月17日に重宗に献呈したもの。写本で伝わるもの(広本)と整版本(略本,狭本)があるが,内閣文庫本(広本)には1039の咄(笑話(しようわ),落し噺),寛永整版本には311の咄が収められ,それぞれ42項に分類してある。…

【曾呂利新左衛門】より

…《曾呂利狂歌咄》には,曾呂利の経歴を略述し,秀吉秘蔵の枯松を祝い直す歌,ほうびに耳をかがせてもらう話,黒胡麻のあんを乗せた餅を黒駒になぞらえた歌などが記されているが,これは浅井了意作の《狂歌咄》を京都の菊屋喜兵衛という本屋が1672年(寛文12)に出版するにあたって特に付加したもののようである。この《曾呂利狂歌咄》は,落語の元祖といわれる安楽庵策伝の作であるということが《遊芸起原》《帝国文庫・落語全集》解題などに記され,さらに曾呂利新左衛門は実は安楽庵策伝のことであるという伝承もある。《曾呂利狂歌咄》の中には策伝の《醒睡笑》と重複する話が30もある。…

【落語】より

…これと並んで《醒睡笑(せいすいしよう)》(1628成立)も当時の御伽衆の姿を伝えていた。これは,フリーな立場にあった御伽衆の安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)が,京都所司代板倉重宗の御前で口演したはなしの筆録で,武家に関する咄,板倉父子の裁判咄なども収められ,《昨日は今日の物語》にくらべると,庶民性,明朗性に欠ける。 これらの笑話本を契機として咄の趣味は普及し,《わらひぐさ》(1656)や《百物語》《私可多(しかた)咄》(1659)なども出版されるにおよんで,咄の筋をしゃべるだけでなく,身ぶり入りで都会人と田舎者との区別などを演じ分けるという,落語の基本ともいうべき立体的演出法もくふうされ,《囃(はなし)物語》(1680)の時代には,咄を架空の笑話と規定するにおよび,落語の基本的内容・表現が確認された。…

※「安楽庵策伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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