箕田里(読み)みたのさと

日本歴史地名大系 「箕田里」の解説

箕田里
みたのさと

[現在地名]大和郡山市白土町

叡尊の「感身学正記」に「建仁元年一歳五月、於大和国添上郡箕田里近年号敬田院(誕)生」とあり、叡尊が建仁元年(一二〇一)五月、添上郡箕田里に生れたことが知られる。貞応二年(一二二三)二三歳の条に「十二月廿三日、出醍醐山、著箕田里、時舎兄源盛影便受重病、余命已迫、為重恩仁故、為看病暫留住」、また元仁元年(一二二四)二四歳の条には「二月廿二日、出自箕田里、次日著高野山、宿往生院、五月下旬、下箕田里」とみえ、叡尊が出生地の箕田里に帰省したことが記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む