藤原長子(読み)ふじわらの ながこ

世界大百科事典(旧版)内の藤原長子の言及

【讃岐典侍日記】より

…平安朝の日記文学。上下2巻。作者は藤原顕綱の娘長子。讃岐典侍の名は堀河・鳥羽両天皇に仕えた女房名。父が讃岐入道と呼ばれた歌人であったことによる。1110年(天永1)ごろ成る。上巻は1107年(嘉承2)6月堀河天皇の発病に筆を起こし,日増しに容態が悪化していく天皇の苦悩や周囲の憂慮の様子を,病床に侍して懸命に看護する女房の目で克明に記述し,7月ついに天皇の亡くなる際の動転と悲傷を告白している。作者は天皇の没後典侍を辞任して里に下がったが,白河院の仰せをこうむって心ならずも新帝鳥羽天皇のもとに出仕した。…

※「藤原長子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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