改訂新版 世界大百科事典 「さぬき」の意味・わかりやすい解説
さぬき[市]
香川県東部の市。2002年4月大川(おおかわ),寒川(さんがわ),志度(しど),津田(つだ),長尾(ながお)の5町が合体して成立した。人口5万3000(2010)。
大川
さぬき市南東部の旧町。旧大川郡所属。人口6977(2000)。三方を山に囲まれ,中央を北流する津田川沿いに沖積低地が広がる。津田川は流量に乏しかったが,大川ダム(1964),香川用水事業(1977)の完成により水不足は解消され,米作を基幹として,酪農,蔬菜を取り入れた複合経営農業が行われている。工業はボタン工業と手袋を主とする縫製業が中心。大川ダム湖畔に移築されている旧恵利邸は江戸初期の建築で,県下最古の民家(重要文化財)。吉金窯跡,雨滝山遺跡,茶臼山古墳など史跡に富む。
寒川
さぬき市中部の旧町。旧大川郡所属。人口6041(2000)。町域は南北に長く,南部は讃岐山脈北斜面の山林地帯で,鴨部(かべ)川,津田川の支流が北流し,北部に沖積低地が広がる。北部をJR高徳線が通じ,県道(長尾街道)沿いに住宅や商店街が並び,町の中心となっている。農業が基幹産業で,香川用水の通水と農業基盤整備により,米,麦,タバコ中心から,イチゴ,メロン,野菜,酪農などをとり入れた複合経営に移行している。工業は食料品,縫製,家具,金属などの小規模企業が中心である。蓑神古墳群,寺尾古墳群など多くの古墳,遺跡がある。
志度
さぬき市北部の旧町。旧大川郡所属。人口2万2939(2000)。瀬戸内海に面し,町域中央部を鴨部川が北流する。中心集落の志度は四国八十八ヵ所86番札所志度寺の門前町として栄えた地である。高松市に近く,JR高徳線,国道11号線が通じ,高松自動車道のインターチェンジもあるため交通の便がよく,住宅地化が著しい。志度湾東奥には埋立てによって63万m2におよぶ工業団地が造成された。ブドウや園芸作物の栽培,ノリやカキの養殖が盛んで,桐下駄は町の特産である。志度寺をはじめ,長福寺,平賀源内旧宅,多和神社など旧跡が多い。間川地区と大串半島の観光開発も進んでいる。
執筆者:赤池 享一
歴史
志度寺の創建は9世紀ごろといわれているが,地名としては1213年(建保1)に〈志度庄〉として出てくるのが初出である。室町時代には志度寺は讃岐守護細川氏より寺領を安堵された。近世に入った1633年(寛永10)の志度庄の石高は1588石余であった。志度村には米蔵が置かれ,周辺17ヵ村の年貢米が集められた。また志度浦に浦番所が設けられ,物資の出入りを取り締まり,1835年(天保6)には高松藩の代表的産物である砂糖の積出しを監視する砂糖会所が設置された。58年(安政5)の志度村の石高は1636石余で,人口5148であった。明治以降は沿岸漁業が盛んとなり,のちには海外へも出漁した。
執筆者:木原 溥幸
津田
さぬき市北東部の旧町。旧大川郡所属。人口8370(2000)。播磨灘に面した津田湾の一帯は,多くの古墳が分布するように古くから開けた地で,中世には鶴羽(つるわ)荘(1306年(嘉元4)初出)に属していたらしく,近世に入ると鶴羽津田として《讃岐国絵図》(1633)にも記されている。1670年(寛文10)には鶴羽村と津田村に分かれており,津田村の石高は562石余であった。鶴羽村には高松藩の年貢を納める米蔵が置かれ,また鶴羽浦,津田浦には物資の出入りを監視する浦番所が近接して設けられており,この地域が物資の集散地であったことがうかがえる。漁業も盛んであり,長崎での貿易にあてるいりこの俵物も生産していた。1835年(天保6)には高松藩の代表的な産物である砂糖の積出しを監視する砂糖会所が置かれた。津田村の石高は38年には884石余と増え,人口は3056人である。そのころ商船が44艘あり廻船業が発達していた。
津田港は漁業無線局をもつ県下唯一の遠洋漁業基地で,北洋のサケ・マス漁,オーストラリア近海のエビ漁にも進出していたが,近年は行われていない。内海漁業は不振で,ノリ,タイなどの養殖漁業が行われている。かつて盛んであった砂糖製造や鶴羽の貝ボタン製造は数軒の業者によって続けられているが,貝ボタンはポリエステル加工に代わっている。また,農業ではニンニク,ミニトマト,早出しジャガイモが特産である。瀬戸内海国立公園の一部で琴林公園とも呼ばれる津田の松原(面積約10万m2)は数千本の松の大樹が密生し,白砂の海岸は東讃随一の海水浴場となっている。湾岸にJR高徳線,国道11号線が通じ,高松自動車道の津田東と津田寒川の二つのインターチェンジがある。
執筆者:木原 溥幸+赤池 享一
長尾
さぬき市西部の旧町。旧大川郡所属。人口1万3445(2000)。町域は南北に長く,南部は讃岐山脈の山林地帯,北部は平たんな沖積地である。北部をJR高徳線,高松市に通じる高松琴平電鉄長尾線が走り,駅周辺と県道(長尾街道)沿いに細長く市街地が形成されている。中世は長尾荘の地。四国八十八ヵ所87番札所の長尾寺(奈良時代の創建)の門前町として発展し,現在は県の出先機関も多い。農業が町の基幹産業で,農産加工コンビナート,県東部流通センター,農業者トレーニングセンターなども設置されている。北部ではブドウ,モモの果樹栽培が多い。長尾寺のほか,四国八十八ヵ所88番結願の札所大窪寺,桜の名所の亀鶴(きかく)公園,16世紀後半の寒川氏の居城昼寝城跡,18世紀後半の農家細川邸(重要文化財)など史跡・名所が多い。
執筆者:赤池 享一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報