讚岐典侍(読み)さぬきのすけ

精選版 日本国語大辞典 「讚岐典侍」の意味・読み・例文・類語

さぬき‐の‐すけ【讚岐典侍】

  1. 讚岐典侍日記」の作者本名藤原長子。父は讚岐入道藤原顕綱(あきつな)、姉は藤原俊成の外祖母伊予三位兼子で、共に歌人堀河天皇典侍(てんじ)となり寵愛をうけたが天皇の死により宮中を退く。のち白河院の命により鳥羽天皇に仕えたが病で退いた。生没年不詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「讚岐典侍」の意味・わかりやすい解説

讃岐典侍【さぬきのすけ】

平安末期の1110年ころに成立した《讃岐典侍日記》の作者。讃岐前司藤原顕綱の女(むすめ)で,堀河院乳母伊予三位兼子の妹。名は長子。1100年堀河天皇に出仕,翌年典侍に任ぜられ,讃岐典侍と呼ばれた。日記に見られる病中の堀河天皇に対する悲嘆の様,献身ぶりから,その寵愛を受けていたと考えられている。堀河天皇崩御後,一度は宮仕えを退いたが,白河院宣旨を受けて鳥羽天皇に仕えた。病を理由に出仕をやめてからの消息は不詳。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「讚岐典侍」の意味・わかりやすい解説

讃岐典侍
さぬきのすけ

平安時代後期の日記作者。歌人の讃岐入道藤原顕綱の娘。本名,長子。康和2 (1100) 年堀河天皇に出仕し,翌年典侍 (てんじ) となる。以後,嘉承2 (07) 年天皇が崩御されるまで側近に仕え,寵愛を受けた。同年 10月,白河上皇懇請により5歳の新帝鳥羽天皇に仕え,即位式にはけん帳をつとめた。元永1 (18) 年精神障害をきたし,兄道経に預けられた。以後の消息は不明。『讃岐典侍日記』は堀河天皇の崩御の前後,および鳥羽天皇に仕えた1年余のことを記した回想記。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「讚岐典侍」の解説

讃岐典侍 さぬきのてんじ

1079?-? 平安時代後期の女官
承暦(じょうりゃく)3年?生まれ。讃岐入道藤原顕綱の娘。康和2年堀河天皇につかえ3年典侍となる。のち鳥羽天皇にもつかえた。「讃岐典侍日記」には,堀河天皇死去前後の宮中のようすが記述されている。名は長子。

讃岐典侍 さぬきのすけ

さぬきのてんじ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む