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讃岐典侍【さぬきのすけ】
平安末期の1110年ころに成立した《讃岐典侍日記》の作者。讃岐前司藤原顕綱の女(むすめ)で,堀河院乳母伊予三位兼子の妹。名は長子。1100年堀河天皇に出仕,翌年典侍に任ぜられ,讃岐典侍と呼ばれた。日記に見られる病中の堀河天皇に対する悲嘆の様,献身ぶりから,その寵愛を受けていたと考えられている。堀河天皇崩御後,一度は宮仕えを退いたが,白河院の宣旨を受けて鳥羽天皇に仕えた。病を理由に出仕をやめてからの消息は不詳。
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讃岐典侍
さぬきのすけ
平安時代後期の日記作者。歌人の讃岐入道藤原顕綱の娘。本名,長子。康和2 (1100) 年堀河天皇に出仕し,翌年典侍 (てんじ) となる。以後,嘉承2 (07) 年天皇が崩御されるまで側近に仕え,寵愛を受けた。同年 10月,白河上皇の懇請により5歳の新帝鳥羽天皇に仕え,即位式にはけん帳をつとめた。元永1 (18) 年精神障害をきたし,兄道経に預けられた。以後の消息は不明。『讃岐典侍日記』は堀河天皇の崩御の前後,および鳥羽天皇に仕えた1年余のことを記した回想記。
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讃岐典侍 さぬきのてんじ
1079?-? 平安時代後期の女官。
承暦(じょうりゃく)3年?生まれ。讃岐入道藤原顕綱の娘。康和2年堀河天皇につかえ3年典侍となる。のち鳥羽天皇にもつかえた。「讃岐典侍日記」には,堀河天皇死去前後の宮中のようすが記述されている。名は長子。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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