コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

蜂岡寺 ハチオカデラ

3件 の用語解説(蜂岡寺の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

はちおか‐でら〔はちをか‐〕【蜂岡寺】

広隆寺(こうりゅうじ)の古称。

ほうこう‐じ〔ホウカウ‐〕【蜂岡寺】

広隆寺(こうりゅうじ)の異称。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

はちおかでら【蜂岡寺】

広隆寺こうりゆうじの古称。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の蜂岡寺の言及

【広隆寺】より

…山号は蜂岡山。別に太秦寺(うずまさでら),蜂岡寺,川勝寺,秦公寺(はたのきみでら)ともいい,俗に太秦の太子堂と呼ばれる。真言宗別格本山。…

【秦河勝】より

秦氏の中心人物で山背(やましろ)の葛野(かどの)(現,京都市西部)に住した。《日本書紀》推古11年(603)11月条に河勝が聖徳太子から仏像を賜って,葛野に蜂岡寺(はちおかでら)(広隆寺)を建立したことと,同18年10月条に新羅,任那の使者が拝朝したとき,新羅使者の導者を務めたこと,また同皇極3年(644)7月条に東国の不尽河(富士川)のあたりの大生部多(おおうべのおおし)という者が,蚕に似た虫を,常世(とこよ)の神と称して村里の人々にまつらせ,富と長寿が得られるといって民衆を惑わしていたのを,河勝が打ちこらしたので,時の人が〈太秦(うずまさ)は神とも神と聞えくる常世の神を打ちきたますも〉と歌ったという伝えがみえる。《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》にはそのほかに河勝が物部守屋討伐軍に加わって太子のために活躍したことや,はじめ大仁,のち小徳の冠位を与えられたことなどがみえるが確かではない。…

※「蜂岡寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

蜂岡寺の関連キーワード広隆寺亢竜勾留状りゅうりゅう葛野寺拘留場仲呂いかるがの里・法隆寺マラソン法隆寺版

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone