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広隆寺 こうりゅうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広隆寺
こうりゅうじ

京都市右京区太秦 (うずまさ) 蜂岡町所在の真言宗別格本山。山号を蜂岡山といい,蜂岡寺,太秦寺,秦 (はた) 寺,その他の呼称がある。秦河勝 (はたのかわかつ) が聖徳太子の命を受けて創立したという。

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デジタル大辞泉の解説

こうりゅう‐じ〔クワウリユウ‐〕【広隆寺】

京都市右京区太秦(うずまさ)にある真言宗御室(おむろ)派の寺。山号は蜂岡山。推古天皇11年(603)秦河勝(はたのかわかつ)聖徳太子の命を奉じて創建したと伝える。国宝の弥勒菩薩半跏像をはじめ多数の文化財を所蔵する。太秦寺。太秦太子堂。秦公寺(はたのきみでら)。蜂岡寺(ほうこうじ)。川勝寺。葛野寺(かどのでら)。

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百科事典マイペディアの解説

広隆寺【こうりゅうじ】

京都市右京区太秦(うずまさ)蜂岡町にある真言宗御室派の別格本山。太秦寺,太秦の太子堂とも。622年に秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子のために造立したと伝え,寺地一帯は古来秦氏が住んだ土地。
→関連項目右京[区]牛祭太秦京都[市]弥勒

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デジタル大辞泉プラスの解説

広隆寺

京都府京都市右京区にある寺院。創建は603年。宗派は真言宗単立、本尊は聖徳太子。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうりゅうじ【広隆寺】

京都市右京区にある寺。山号は蜂岡山。別に太秦寺(うずまさでら),蜂岡寺,川勝寺,秦公寺(はたのきみでら)ともいい,俗に太秦の太子堂と呼ばれる。真言宗別格本山。秦河勝(はたのかわかつ)が,603年(推古11)に聖徳太子から仏像をさずかり,その像を安置するため622年に創建したのが当寺で,京都では最古の寺院の一つである。創建当初の寺地は,いまの場所から北東数kmの地点とされ,現地には平安遷都時あるいはそれ以前に移った。

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大辞林 第三版の解説

こうりゅうじ【広隆寺】

京都市右京区太秦うずまさにある真言宗別格本山。603年、秦河勝はたのかわかつが聖徳太子の命を受けて造営。秦氏の氏寺。飛鳥時代の弥勒菩薩の半跏思惟はんかしい像や講堂など文化財が多い。また牛祭は有名。太秦寺。太秦太子寺。秦公はたのきみ寺。蜂岡寺。川勝寺。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広隆寺
こうりゅうじ

京都市右京区太秦(うずまさ)蜂岡(はちおか)町にある真言宗御室(おむろ)派大本山。蜂岡山(はちおかざん)と号し、俗に太秦の太子堂といわれる。古くは蜂岡寺、太秦寺(うずまさでら)、秦寺(はたでら)、秦公寺(はたのきみでら)、葛野寺(かどのでら)などともいわれた。本尊は聖徳太子像。山城(やましろ)(京都府)最古の名刹(めいさつ)で、四天王寺、法隆寺などとともに聖徳太子ゆかりの日本七大寺の一つ。当寺一帯は古くから渡来人の秦氏が住んでいた地域で、その長、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として603年(推古天皇11)に建立されたと『日本書紀』に伝える。古くは弥勒(みろく)像が本尊であった。その後、818年(弘仁9)と1150年(久安6)に焼失したが、そのつど再建された。
 現在の講堂(国重要文化財)は1165年(永万1)建立のもので、柱が朱塗りのため赤堂ともいう。堂内中央須弥壇(しゅみだん)には、中央に阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(国宝)、左右に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像と虚空蔵(こくうぞう)菩薩坐像(2体とも国重要文化財)の両脇侍(わきじ)があり、その後方外陣(げじん)左右に千手観音(せんじゅかんのん)立像と不空羂索(ふくうけんじゃく)観音立像(いずれも国宝)の2体の巨像が安置されている。境内の西方にある桂宮院(けいきゅういん)本堂(国宝)は単層の八角円堂(夢殿形式)、檜皮葺(ひわだぶ)きの美しい屋根をもつ鎌倉時代の建築である。堂内には聖徳太子像などを安置する。上宮王院(じょうぐうおういん)太子殿は1730年(享保15)の建立で、堂内には太子自作と伝える本尊太子像を安置し、毎年11月22日に開扉される。寺宝の保管を図るため1922年(大正11)に建てられた霊宝殿には、仏画、仏像、工芸、古文書など多くの文化財が保存されている。なかでも、創建当初の本尊といわれる木造弥勒菩薩半跏(はんか)像「宝冠(ほうかん)弥勒」(国宝)は、赤松材を用いた一木造(いちぼくづくり)で、美しい微笑をたたえ思索にふける半跏思惟(しい)像として名高い。もう1体の弥勒菩薩半跏像(国宝)は楠の一木造で、泣いているような表情のため「泣き弥勒」、あるいは「宝髻(ほうけい)弥勒」とも称され、異国情緒豊かな像である。以上のほかに十二神将立像などの彫刻や、平安時代における広隆寺の規模を伝える『広隆寺縁起資財帳』1巻、『広隆寺資財交替実録帳』1巻などの国宝のほか、数多くの国重要文化財の絵画、彫刻、美術工芸品があり、文化財の宝庫として知られている。
 境内にある大酒(おおさけ)神社の祭礼(10月12日夜)「太秦の牛祭」は、松明(たいまつ)や篝火(かがりび)で照らされるなかを特異な面をつけた摩多羅(またら)神が牛に乗って練る奇祭として名高い。[眞柴弘宗]
『『日本古寺巡礼 京都13 広隆寺』(1977・淡交社)』

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世界大百科事典内の広隆寺の言及

【飛鳥美術】より

…また伝統的な蘇我氏による百済路線から,あえて新羅路線に乗りかえ,新羅修好のうえに立って対隋外交を確保した。 603年新羅は仏像をもたらし,太子はこれを秦河勝(はたのかわかつ)に賜い,河勝は山背(やましろ)の太秦(うずまさ)に蜂岡寺(広隆寺)を造った。608年には新羅人が多数来朝し,610年新羅・任那の使者来朝に際して,秦河勝は接待役を命ぜられ,621年新羅は初めて表を奉って朝貢した(紀)。…

【秦河勝】より

秦氏の中心人物で山背(やましろ)の葛野(かどの)(現,京都市西部)に住した。《日本書紀》推古11年(603)11月条に河勝が聖徳太子から仏像を賜って,葛野に蜂岡寺(はちおかでら)(広隆寺)を建立したことと,同18年10月条に新羅,任那の使者が拝朝したとき,新羅使者の導者を務めたこと,また同皇極3年(644)7月条に東国の不尽河(富士川)のあたりの大生部多(おおうべのおおし)という者が,蚕に似た虫を,常世(とこよ)の神と称して村里の人々にまつらせ,富と長寿が得られるといって民衆を惑わしていたのを,河勝が打ちこらしたので,時の人が〈太秦(うずまさ)は神とも神と聞えくる常世の神を打ちきたますも〉と歌ったという伝えがみえる。《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》にはそのほかに河勝が物部守屋討伐軍に加わって太子のために活躍したことや,はじめ大仁,のち小徳の冠位を与えられたことなどがみえるが確かではない。…

【摩多羅神】より

…多武峰常行堂にも同様の祭儀があったが,その神体は猿楽の翁面である。太秦(うずまさ)広隆寺の牛祭には,摩多羅神が牛に乗って出現し,こっけいな祭文を読みあげる。これは同寺の伽藍神でもある秦氏の祖神大僻(おおさけ)明神と重なりあっており,金春禅竹の《明宿集》によれば,この神は猿楽者の芸能神(宿神(しゆくしん))であった。…

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