朝日日本歴史人物事典 「金鍔次兵衛」の解説
金鍔次兵衛
生年:慶長7頃(1602)
殉教者。肥前国(長崎県)大村に生まれ有馬のセミナリオ(神学校)に入る。慶長19(1614)年マカオに追放。いったん帰国するがマニラに渡りアウグスチノ会神父となる。修道名をトマス・デ・サン・アウグスティノと称した。寛永8(1631)年迫害下の日本に潜入。長崎奉行所の馬丁となって牢内のグチェレス神父と連絡,信徒の指導に当たる。神出鬼没の活躍に金鍔の脇差をさし魔法を使う伴天連と『長崎志』,『長崎港草』にあり,この名がある。奉行所は探索を強化,『大村家覚書』に「山関之事」と記録される大山狩りを行った。長崎市にある金鍔谷の地名は隠れ家であったという伝承による。寛永14年密告され入牢。拷問の末2度にわたる穴吊りの刑で西坂で殉教。<参考文献>片岡弥吉『日本キリシタン殉教史』
(片岡千鶴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報