翻訳|San
南アフリカのカラハリ砂漠に住む採集狩猟民族。かつてはブッシュマンという蔑称が使われた。人口約6万。コイ・コインとともにその言語はコイサン語族に属し,吸打音音韻(クリック)を頻繁に用いることに特徴がある。三大方言群からなるといわれていたが,近年第4のグループの残存が確認された。男子の平均身長は約155cm。毛髪は極端に縮れた,いわゆる毬状毛であるが,黄褐色の皮膚,突き出した頰骨,蒙古ヒダをもつなど,アジア人に似通った特質をももっている。突き出した脂臀(ステアトピギー),大きな大腿も大きな身体特徴であるが,これはサンから派生したと考えられるコイ・コインの方により著しい。
サンは,男の狩猟,女の植物採集によって生計を得ている。狩猟はキリン,クーズー,イランド,ゲムズボックなど大型動物が弓矢猟により,また小型のレイヨウ,キツネなどが罠猟によって行われる。親族関係に基づく数家族(40~50人)単位の諸集団が絶えず離合集散を繰り返しながら,水や食物を求めて移動生活を行う。1ヵ所での滞在期間は数日から1ヵ月程度で,粗末な半球状の草ぶき小屋を作って住む。この社会には首長はおらず,職業や地位,身分などの分化もみられない。狩りを主導したり,移動の方向を決定したりする,その場かぎりの情況的リーダーの存在は認められるが,分業と役割分担は性と年齢によるものだけであり,社会の構成員は基本的に対等で平等な関係にある。主婦が得る植物性食物は各家族ごとに消費され,これが食生活の基盤となっている。狩りの獲物はときたまもたらされる貴重なごちそうであるが,全食物量の20%を占めるにすぎない。肉はしたがって価値ある食品であり,手に入ったときには同居集団内で平等に分配される。分配と共同に代表される平等主義,互恵主義はサン社会を貫く基本原理となっている。父の兄弟は父,母の姉妹は母と呼ばれる類別的な親族呼称をもち,性と世代によって二分される親族の体系をもつが,出自集団を形成することはない。
サンが描いてきたといわれる岩面画が多数残されているが,それらから類推するかぎりでは,かなり高度な宗教的・芸術的活動があったことがうかがわれる。しかし現在は,天上の創造神と,病気,災害,死の原因となる悪霊の存在を信ずるが,体系だった宗教はもたず,きわめて現実主義的な生活態度を示す。冠婚葬祭,成人式などの通過儀礼もきわめて簡単である。
執筆者:田中 二郎
考古学的研究によれば,サンのように狩猟採集生活を行う人々は,古くは南部アフリカから東・中央アフリカにかけて広く分布していたが,約3000年前に始まった農耕民や遊牧民の南下により生活の場を奪われていった。さらに17世紀以降の白人の侵入により大半は絶滅し,あるいは吸収されて,現在は砂漠や乾燥地帯,湿地,密林など,農耕に適さない地域にのみ残存する。現在も狩猟採集生活を続けるサン,ハッザ,ピグミーや,狩猟採集民から遊牧民に転じたと推定されるコイ・コインは,そのような残存集団であると考えられ,遺伝学の研究結果もそれを支持している。これらの残存集団の多くは,毬状毛の毛髪や黄褐色の皮膚などの身体的特徴や,クリック音を伴う言語などの共通点をもつが,集団相互の遺伝的距離は非常に大きい。したがって,これらの共通する特徴は,非常に古い共通の起源をもつか,狩猟採集生活への適応により発達し保存されたかのいずれかまたは両方であると考えられる。
執筆者:多賀谷 昭
サンの残した岩面画は,北はタンザニアから,マラウィ,ザンビア,ジンバブウェを経て,南は南アフリカ共和国のケープ・タウンまで,西はナミビアから,中央部のカラハリ砂漠の大部分を除いて,東はインド洋岸まで,広く分布する。遺跡は約3000ヵ所,岩面画の総数は10万点を超す。彩画と刻画とがあり,前者はマトポ丘陵,ドラケンスバーグ山脈,ナタール州,ケープ州,ブラントベルク山などの山岳地帯に多く,後者はオレンジ自由州やトランスバール州の草原地帯に多い。
農耕や牧畜を知らないサンの採集狩猟生活を反映して,岩面画の主題は,野生の獣,魚,鳥,爬虫類の狩猟や漁労のほか,野生植物の採集,舞踊,音楽の演奏,呪術儀礼などで,末期には牛を飼うバントゥー系の黒人や,長ズボンをはいて馬に乗り,鉄砲をかまえるヨーロッパ人が表される。最もよく表される動物はイランド,クーズー,スプリングボックのような各種のレイヨウで,そのほかシマウマ,ゾウ,ライオン,スイギュウ,ヘビ,ダチョウ,キリン,背中にギザギザの突起のある架空動物などである。これらの動物像は比較的写実的であるが,人物像は多少ともデフォルメされる。とくに弓矢を手にして大股に駆ける狩人は,疾走するという動作が強調されて,前後の足が水平に近く伸ばされる。
彩画の様式は一般に,最初の輪郭画から,単彩画,二彩画,多彩画,明暗処理を伴う多彩画へと展開する。刻画には線刻によるものとたたき彫りによるものとがあるが,両技法とも時代の経過とともに洗練さを増す。末期に金属製の彫刀で刻まれた拙劣な刻画が現れ,その形象のなかにヨーロッパ人が登場する。
彩画の顔料は,主として天然の鉱物から得られた。黄色と褐色は褐鉄鉱から,赤と紫色は赤鉄鉱および酸化片岩から,白はカオリンまたは石灰石から得られた。白は鳥糞や植物の根から得られたこともあり,その場合しばしばピンクがかった色を呈する。時代が後になると,黒は主として木炭から得られた。媒材(メディウム)は樹脂,獣脂,はちみつ,尿,水などであったと思われる。
制作年代については二つの意見があり,ブルイユなどのヨーロッパの学者の多くが約1万年前から描き始められたとするのに対し,ショフィールドJ.F.Schofieldなどの現地学者の多くは数百年前のものと考える。しかし炭素14法による測定その他の資料によれば,前4000年ころから19世紀にいたるまで,非常に長いあいだ描き,刻み続けられたと考えるのが妥当である。その伝播については,まず初期様式の彩画がジンバブウェからリンポポ川を越えてトランスバールに展開し,ついで次の波が同じくジンバブウェから,ボツワナ北西端のツォディロ丘陵を経由して,ナミビア,ケープ,レソトへと南部アフリカを巡る形で伝わり,更にオレンジ自由州で刻画を発生させた。後期様式の波の一つはジンバブウェからツォディロ丘陵を経て,ナミビア北部のブラントベルク山へ,他の一波はジンバブウェからトランスバールへ及んだ。
執筆者:木村 重信
(1)アメリカ,ニューヨークの大衆紙。1833年9月3日朝,デイBenjamin Dayによって創刊された。従来の4~6セントもする高級紙(クオリティ・ペーパー)に対して,わずか1セントの廉価大衆紙(ペニー・ペーパーpenny paper)として売り出され,内容も犯罪・ゴシップなどの社会記事に重点をおいて,それまでの政論偏重の新聞とは異なる〈安くておもしろい〉新聞として大衆の好評を博し,初期大衆紙の原形となった。しかし,保守派が同紙のセンセーショナリズムを攻撃したこともあって,37年デイはビーチMoses Y.Beachに同紙を4万ドルで売却した。ビーチは保守派からの攻撃も考慮,論説を増やして同紙をやや〈上品〉にして維持した。68年,C.A.ダナがこの新聞を買い,《サン》を最有名紙の一つに再生させるとともに,87年には夕刊紙《イブニング・サン》を創刊した。《サン》の所有権はその後,1903年にラッファンWilliam Laffan,11年にレークWilliam Reikと転々とし,16年には雑誌王マンゼーFrank A.Munseyの手に移り,20世紀型大衆紙への改造が試みられた。マンゼーは23年《ヘラルドHerald》も買収して《サン》を吸収,合併,ここに《サン》の題号は消滅した。《イブニング・サン》は50年スクリップス=ハワードScripps-Haward系に吸収されるまで存続した。
(2)イギリスの大衆紙。労働党内閣の成立などを背景に,特異な活躍と存在を示した労働党機関紙《デーリー・ヘラルドDaily Herald》(1912創刊)が,1929年経営不振のためオダムズ新聞社Odhams Pressの手で大衆紙化され,いったんはもちなおしたものの64年9月14日ついに廃刊となり,これをデーリー・ミラー系が買収,翌日から《サン》と改題した。69年,マードックRupert Murdochが買収,創刊時から労働党系だった同紙の論調を保守党よりに変え,以降総選挙のたびに保守党支持のキャンペーンを展開,勝利に大きく貢献したとされる。97年現在,部数400万部をこえ,大衆紙のなかで圧倒的1位を誇っている。
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アフリカ南部のカラハリ砂漠に住む採集狩猟民族。かつては、ヨーロッパ人の命名により、ブッシュマンBushman(藪の民)とよばれたが、侮蔑(ぶべつ)を含む呼称として、現在はサンという名称が用いられる。ただし、サンも自称名ではなく、コイ人の言語で「サンの人々」という意味だが、これもまた侮蔑を含む呼称とされ、民族自身による民族名の選定がまたれる。なお、カラハリの叢林(そうりん)に住む自由人という意味をこめて「ブッシュマン」の呼称をあえて用いる研究者もいる。人口は約6万。コイ人とともにコイサン語族(コイン語族)に属し、その言語は舌打音音韻(吸着音、クリック)を頻繁に用いることに特徴がある。平均身長は男子で約155センチメートル、毛髪は極端に縮れたいわゆる毬状(きゅうじょう)毛であるが、黄褐色の皮膚、突出した頬骨(きょうこつ)をもつなどモンゴロイドに似かよった特質をももっている。血清学的にはネグロイドに近似しており、アフリカの最古の住民であることは間違いない。サン人は古くは南部アフリカから東アフリカに広く分布していたが、白人およびバントゥー系の人々の圧迫により大半は絶滅し、現在はカラハリ砂漠にのみ残存する。男の狩猟、女の植物採集によって生計を得ている。狩猟はキリン、オオカモシカなど大形動物が弓矢により、小形のカモシカ、キツネなどが罠(わな)によって狩られる。親族関係に基づく数家族(40、50人)単位の集団が絶えず離合集散を繰り返しながら、水、食物を求めて移動生活を行う。1か所の滞在期間は数日から1か月程度で、簡単な半球状の草葺(くさぶ)き小屋をつくって住む。この社会には首長はなく、職業や身分、地位の分化もみられない。性別と年齢による役割の分化はあるが、社会の全構成員は対等な関係にある。主婦が得る植物性食物は各家族ごとに消費されるが、頻繁に得ることのできない狩りの獲物は同居集団内で平等に分配される。父の兄弟は父、母の姉妹は母とよばれる類別的な親族名称をもち、性と世代によって二分される親族の体系をもつが、出自集団は形成されない。天上の創造神と、病気や死の原因となる悪霊の存在を信ずるが、体系だった宗教はもたず、きわめて現実主義的な生活態度を示す。冠婚葬祭、成人式などの通過儀礼もきわめて簡単である。20世紀末のグローバリゼーションの進展のなかで、サン人の定住化が進み、伝統的な狩猟採集生活は大きく変貌(へんぼう)しつつある。
[田中二郎]
『田中二郎著『ブッシュマン』新装版(1990・思索社)』▽『田中二郎編著『カラハリ狩猟採集民 過去と現在(講座・生態人類学1)』(2001・京都大学学術出版会)』
イギリスの大衆日刊紙。この日曜版にあたるのが『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』(2011年廃刊)。両紙はニューズ・コーポレーションが発行する二大タブロイド紙である。『サン』自体は経営難にあえいでいた労働党系の日刊紙『デーリー・ヘラルド』(1912年創刊)の後継紙として1964年に創刊された。発行社のインターナショナル・プリンティング・コーポレーションは、紙名を改めただけでなく、読者層も労働者から現代的な中流階級に変えたが、退勢を挽回(ばんかい)するには至らず、発行部数は110万部程度で推移していた。そのため、同紙は1969年にオーストラリア出身の新聞王ルパート・マードックに売却され、大衆紙に変貌(へんぼう)していく。政治的には、買収当初は労働党寄りだったが、徐々に保守党支持へ傾き、1979年総選挙ではサッチャー首相率いる保守党の支持を表明する。紙面づくりには、セックス、スポーツ、懸賞の3要素が強く打ち出され、ニュース写真や女性のピンナップ写真が多用されている。1970年に初めて三面に掲載したヌード写真は、その後「ページ・スリー・ガール」として同紙の目玉企画になり、記事もローカル、スポーツ、事件・裁判などに大きなスペースを割く。発行部数は1990年代なかばに400万部を超えたが、2000年には355万部、さらに2011年には300万部と減少傾向にある。ただ、一貫して日刊紙最大の部数規模を誇る。
[橋本 直]
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…藁算の場合,桁は枝の分岐によって区別し,輪結びは5を表した。また家の道順,道筋を藁束の枝分れを利用して示した〈サン〉という結縄法がある。沖縄の藁算以上に高度と思われるものに古代ペルー(インカ)の結縄がある。…
…コイ・コインとともにかつては南部アフリカに広く分布していたが,現在では地勢的条件の悪いボツワナのカラハリ砂漠,ナミビア,アンゴラ南部に住み採集狩猟生活をしているサンの言語。コイサン語族に属する。語し手の数は5万人内外といわれる。4~5種のクリックclick(舌打音,吸着音)をもつという特徴のほかに,統語法のちがい,性(男性,女性,中性)と数(単数,双数,複数)をともに示す後辞詞,二人称代名詞の双数型(あなた方二人)の存在などによりバントゥー諸語とは明らかに異なる言語である。…
…赤道をはさんで同心円状に,熱帯雨林,サバンナ,砂漠,地中海気候帯と多様な自然をもっている。サハラ砂漠をはさんで,北は西アジア・地中海世界とひとつづきのハム・セム系の文化をもつ白人(コーカソイド)が支配的な白人アフリカ,南は,ピグミーやコイサン(サン,コイ・コイン)の非黒人先住民と,おそらく北西部から移住拡散した黒人(ニグロイド)の世界,すなわち黒人アフリカである。規準のとり方にもよるが,黒人アフリカだけで800近い異なる言語が話されているといわれる。…
…赤道をはさんで同心円状に,熱帯雨林,サバンナ,砂漠,地中海気候帯と多様な自然をもっている。サハラ砂漠をはさんで,北は西アジア・地中海世界とひとつづきのハム・セム系の文化をもつ白人(コーカソイド)が支配的な白人アフリカ,南は,ピグミーやコイサン(サン,コイ・コイン)の非黒人先住民と,おそらく北西部から移住拡散した黒人(ニグロイド)の世界,すなわち黒人アフリカである。規準のとり方にもよるが,黒人アフリカだけで800近い異なる言語が話されているといわれる。…
…子どもにはそれぞれその成長段階に応じて果たすべき社会的役割や仕事が積極的に与えられ,それを十分に果たすか否かが子どもに対する評価であって,嫡出,非嫡出の差はほとんど問題とされない。反対にサンはかなり厳しく性道徳が守られている社会で,結婚前の性関係はまれである。したがって私生児を生むことは大きな恥とされ,万一結婚前に妊娠すると,恥をさらさないために生まれた子を生埋めにすることもある。…
…アフリカ南西部に住む原住民コイサン(コイ・コインとサン)の成人女性では,皮下に多量の脂肪が蓄積するために,臀部(しりの部分)がいちじるしくふくらみ,後方に突き出るという特異な体型が見られる。この身体的特徴を,人類学で脂臀と呼ぶ。…
…【戸谷 洋】
[住民,社会]
総人口の50%をバントゥー系のオバンボ族が占めている。そのほかオカバンゴ族,ヘレロ族,ダマラ族,ナマ族(コイ・コインの一部族),カプリビ族,ツワナ族,サン(ブッシュマン)などが居住している。また,かつての植民地支配者であったドイツ人と,南アフリカ共和国から移住した白人が人口の約10%を占めている。…
…これにより《デーリー・メール》《デーリー・エクスプレス》と競合する有数の大衆紙としての地位を確立した。しかし,第2次大戦後,労働党政権のもとで紙面は大衆化したものの,部数は伸びず64年に廃刊し,《サンThe Sun》と改題して再出発している。【香内 三郎】。…
※「サン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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