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黒田官兵衛(読み)クロダカンベエ

デジタル大辞泉 「黒田官兵衛」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐かんべえ〔‐クワンベヱ〕【黒田官兵衛】

黒田孝高よしたか

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関連語 クロ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒田官兵衛」の解説

黒田官兵衛 くろだ-かんべえ

黒田孝高(くろだ-よしたか)

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百科事典マイペディア 「黒田官兵衛」の意味・わかりやすい解説

黒田官兵衛【くろだかんべえ】

黒田如水

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒田官兵衛」の意味・わかりやすい解説

黒田官兵衛
くろだかんべえ

黒田孝高

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世界大百科事典(旧版)内の黒田官兵衛の言及

【黒田孝高】より

…織豊政権期の武将。名は官兵衛。勘解由次官,如水円清などを称す。一族は,播磨守護赤松氏や小寺氏に仕え,初め小寺姓を名のった。織田信長の中国進出にくみし,羽柴秀吉の参謀として軍略家の名をはせた。1578年(天正6)荒木村重が信長に背いたとき,説得に赴いたが失敗した。80年,播磨揖東郡内1万石を与えられたのを始めとして,数々の戦功により,九州征伐後の87年には,豊前6郡を領した。89年,剃髪して家を子長政に譲り,秀吉に近侍し,小田原征伐,文禄・慶長の役などおもに軍事面で活躍した。…

※「黒田官兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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