黒田如水(読み)クロダジョスイ

関連語 クロ

百科事典マイペディア 「黒田如水」の意味・わかりやすい解説

黒田如水【くろだじょすい】

安土桃山時代武将キリシタン大名。名は官兵衛孝高(よしたか),洗礼名ドン・シメオン。初め小寺氏に属して小寺姓を名乗り姫路城にいたが,織田信長豊臣秀吉仕え,特に秀吉謀将として中国征伐九州征伐従軍。1587年豊前(ぶぜん)中津城主として12万石を領す。文禄・慶長の役に出陣関ヶ原の戦で徳川方に属した。
→関連項目黒田氏黒田長政

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世界大百科事典(旧版)内の黒田如水の言及

【黒田孝高】より

…織豊政権期の武将。名は官兵衛。勘解由次官,如水円清などを称す。一族は,播磨守護赤松氏や小寺氏に仕え,初め小寺姓を名のった。織田信長の中国進出にくみし,羽柴秀吉の参謀として軍略家の名をはせた。1578年(天正6)荒木村重が信長に背いたとき,説得に赴いたが失敗した。80年,播磨揖東郡内1万石を与えられたのを始めとして,数々の戦功により,九州征伐後の87年には,豊前6郡を領した。89年,剃髪して家を子長政に譲り,秀吉に近侍し,小田原征伐,文禄・慶長の役などおもに軍事面で活躍した。…

【姫路城】より

…兵庫県姫路市本町の姫山にある城郭。天守,櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。起源は1346年(正平1∥貞和2)赤松貞範が姫山に城を築いたことに始まる。近世の築城は,1580年(天正8)に当時の城主黒田孝高(如水)が,毛利氏と戦うべく西下した羽柴秀吉にこの城を明けわたし,秀吉の居城として普請したのに始まる。秀吉の後もその親族が城主であったが,関ヶ原の戦後,徳川家康はここに池田輝政を封じ,西国大名に備えた。…

※「黒田如水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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