世界大百科事典(旧版)内のAsadābādīの言及
【アフガーニー】より
…アフガン人と自称したが,イラン生れ。そのため,イランではアサダーバーディーAsadābādīと呼ぶ。イギリスによるセポイの反乱の鎮圧とムガル帝国滅亡とから,早くヨーロッパの脅威を感得し,アフガニスタンの政争に関与してイスタンブールに逃れたが,彼の哲学思想を異端とするウラマーの圧迫を受け,1871年カイロに定住した。…
※「Asadābādī」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」