世界大百科事典(旧版)内のDMKの言及
【タミル・ナードゥ[州]】より
…州公用語はタミル語で,住民の大半がドラビダ系のタミル民族である。ヒンディー語の連邦単一公用語化への激しい反対運動(1965),国民会議派を破って州政権を担当したドラビダ進歩連盟(DMK)の登場(1967)などにもみられるように,北インドのアーリヤ民族の優位性を否定するドラビダ民族主義運動の拠点である。州名は〈タミル民族のくに〉を意味し,1968年に旧名マドラス州にかわって,DMK政権のもとで採用された。…
【デカン高原】より
…ヨーロッパ諸勢力の中でイギリスは,18世紀後半4次にわたるマイソール戦争と,18世紀末~19世紀初頭3次にわたるマラーター戦争などで最終的に勝利し,南インドはその植民地となった。 インド独立後タミル・ナードゥ州の反バラモン運動とその政治的発現であるドラビダ進歩連盟(DMK)の発展などは,〈ヒンディーとバニアー(北インドの商人)帝国主義〉に対する,すなわち社会・文化・政治・経済面での北インド・アーリヤ支配に対する南インドの民族的抵抗である。ドラビダ【佐藤 正哲】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」