改訂新版 世界大百科事典 「タミルナードゥ」の意味・わかりやすい解説
タミル・ナードゥ[州]
Tamil Nadu
インド南東端,ベンガル湾に面する州。面積13万km2,人口6241万(2001)。州都はチェンナイ(旧マドラス)。州公用語はタミル語で,住民の大半がドラビダ系のタミル民族である。ヒンディー語の連邦単一公用語化への激しい反対運動(1965),国民会議派を破って州政権を担当したドラビダ進歩連盟(DMK)の登場(1967)などにもみられるように,北インドのアーリヤ民族の優位性を否定するドラビダ民族主義運動の拠点である。州名は〈タミル民族のくに〉を意味し,1968年に旧名マドラス州にかわって,DMK政権のもとで採用された。
東部の海岸沿いの平野部と西部の山地・台地部とに分かれる。山地は州境沿いに走り,北境では東ガーツ山脈が断続しつつ走り,西端のニールギリ丘陵で西ガーツ山脈と合する。同丘陵から南のコモリン岬まで半島部の最高峰を抱きつつカルダモン丘陵などが南走する。これら丘陵の東方には諸河川に分断された台地・丘陵が舌状に広がっている。平野部は諸河川により堆積された沖積平野と隆起による海岸平野とが合体したものである。海岸平野の発達は北半部において著しく,海岸線は単調である。南半部は短小な河川の沖積平野が続き,海岸線は屈曲に富む。両者の接点にカーベーリ川の広大なデルタがある。雨はインドでは珍しく10~12月の北東モンスーン期に多く,年降水量は北部海岸平野では1200mm前後であるが,そこから内陸と南方に向かうにつれて減少し,北西内陸部では600mm前後と半乾燥化する。河川もカーベーリ川などの集水域大の少数の河川を除くと,乾季には流量をみない。このため用水路,溜池,井戸などによる灌漑が発達し,灌漑耕地率も約40%に達している。なかでも12万haを灌漑するカーベーリ・デルタの大アニクト用水路は名高い。農業の中心は米作にあるが,サトウキビ,ラッカセイなどの産も多い。ニールギリ丘陵では茶,コーヒー,ゴム,コショウなどのプランテーションが営まれる。伝統工業ではカーンチープラム,マドゥライなどの絹サリーが著名であるが,近代工業ではマドラス周辺の自動車,トラクター,車体,電気機器,石油精製,化学肥料など,セーラムの鉄鋼業,コインバトールの綿・絹業などがある。セーラム周辺は鉄鉱石,マグネサイト,ボーキサイトの埋蔵で知られる。
タミル地方は前3世紀のアショーカ王時代に北方のチョーラ,南方のパーンディヤなどのドラビダ系王国の存在が知られている。ポンディシェリー南のアリカメドゥなどの遺跡の発見により,前1世紀~後2世紀の間にローマ帝国と交易が行われていたことが明らかになっている。7~9世紀にはパッラバ朝(首都カーンチープラム),9~13世紀にはチョーラ朝がタミル地方を中心に興り,ともに東南アジアと密接な関係を保っていた。しかし15世紀になると北方のビジャヤナガル王国の勢力下にはいり,17世紀からはヨーロッパ勢力の進出があった。18世紀中期にこの地で戦われた3次にわたる英仏戦争(カルナータカ戦争)によりイギリスの覇権が確立した。19世紀初めにはコロマンデル海岸一帯と北部マラバル海岸をも含むイギリス領のマドラス管区が成立し,その範域は1947年のインド独立までほぼマドラス州(旧)として受け継がれた。独立以後,56年の言語州再編時にほぼ現在の範域のマドラス州(新)が成立し,68年に現州名に改称した。
→ドラビダ
執筆者:応地 利明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報