世界大百科事典(旧版)内のEsteの言及
【フェラーラ】より
…10世紀にカノッサ伯の所領として教会によって封じられ,12世紀ごろに市民によって選出される執政官に治められる都市国家となった。1167年には皇帝フリードリヒ1世に抗するロンバルディア都市同盟に加わったが,当時のイタリアのほかの都市同様,教皇派と皇帝派に分かれた貴族が支配を争い,そのなかから1267年,エステEste家がシニョーレとして支配を確立し,その下でこの都市は繁栄した。とりわけエルコレ1世(在位1471‐97)は,父ボルソとともに当時のルネサンス文化のパトロンとしてヨーロッパに名をはせ,その宮廷には,ボイアルド,アリオスト,タッソなどの詩人が出入りし,絵画もフェラーラ派として知られる独自の様式が芽生えた。…
※「Este」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」