世界大百科事典(旧版)内のfermegénéraleの言及
【徴税請負】より
… 17世紀に徴税請負人は,トレタンtraitant,パルチザンpartisan(契約人)の俗称で呼ばれ,人々の怨嗟(えんさ)と蔑視(べつし)の的になり,その社会的地位の低さが強調されていたが,実際は,官職購入,貴族との婚姻を通じて社会的上昇を遂げており,しだいに支配層と融合・一体化していった。同時に,コルベールの下で群小の請負の統合が試みられ,この試みは後に総括徴税請負ferme généraleの確立となって結実し(1726),絶対王政下の貨幣取扱資本の牙城となり,巨額の貸付けと請負人手形を用いた決済・融資を実現し,総括徴税請負人fermiers générauxのほとんどは貴族身分を取得して社会的地位も確固たるものになった。しかし,この制度への依存は国家債務を累積させて財政を悪化させ,請負人の厳しい徴収に対する納税者の怒りは,頻発した反租税運動のつど,〈請負人なしの国王万才!〉の叫びとなって現れた。…
※「fermegénérale」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」