ソシュール(その他表記)Ferdinand de Saussure

デジタル大辞泉 「ソシュール」の意味・読み・例文・類語

ソシュール(Saussure)

(Horace-Bénédict de ~)[1740~1799]スイスの地質学者・登山家。1786年のモンブラン初登頂を後援、翌年自らも登頂した。著「アルプス山旅行」。
(Nicolas-Théodore de ~)[1767~1845]スイスの植物生理学者。の子。植物は根から窒素化合物を吸収し、ガス交換で二酸化炭素を吸収して酸素を放出することなどを発見。
(Ferdinand de ~)[1857~1913]スイスの言語学者。の曽孫。ドイツに学び、パリやジュネーブで教育・研究にあたった。印欧語研究にめざましい業績をあげたほか、講義をまとめた「一般言語学講義」は言語理論の発展に大きな影響を及ぼし、構造主義言語学の礎となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ソシュール」の意味・読み・例文・類語

ソシュール

  1. [ 一 ] ( Ferdinand de Saussure フェルディナン=ド━ ) スイスの言語学者。印欧祖語の母音組織を究明、また、歴史主義的言語学に対して、一般言語学の方法を提唱。記号学としての言語学の確立をめざした。著「一般言語学講義」は弟子たちが講義ノートを編纂したもの。(一八五七‐一九一三
  2. [ 二 ] ( Horace Bênêdict de Saussure オーラス=ベネディクト=ド━ ) スイスの自然科学者、登山家。アルプスの地質構造などを研究。また、科学的登山法を創始し、「近代登山の父」と呼ばれる。主著「アルプス紀行」。(一七四〇‐九九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ソシュール」の意味・わかりやすい解説

ソシュール
Ferdinand de Saussure
生没年:1857-1913

スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891-1913)。1907年,08-09年,10-11年の3回にわたって行われた〈一般言語学講義〉は,同名の題《一般言語学講義Cours de linguistique générale》(1916)のもとに弟子のC.バイイ,セシュエA.Sechehaye(1870-1946)および協力者リードランジェA.Riedlingerの手によって死後出版されたが,この書を通して知られるソシュールの理論は,後年プラハ言語学派(音韻論)やコペンハーゲン言語学派(言理学)などに大きな影響を与え,構造主義言語学(構造言語学)の原点とみなされている。そのインパクトは言語学にとどまらず,文化人類学(レビ・ストロース),哲学(メルロー・ポンティ),文学(R. バルト),精神分析学(J. ラカン)といったさまざまな分野において継承発展され,20世紀人間諸科学の方法論とエピステモロジーにおける〈実体概念から関係概念へ〉というパラダイム変換を用意した。また,1955年以降,ゴデルR.Godelによって発見された未刊手稿や講義録(Les sources manuscrites du Cours de linguistique générale,1957)のおかげで,それまでのソシュール像は大きく修正され,さらにエングラーR.Englerの精緻なテキスト・クリティークによる校定版(Cours de linguistique générale,editioncritique,1967-68,1974),スタロビンスキJ.Starobinskiのアナグラム資料(Les motssous les mots:Les anagramme de F.de Saussure,1971)によれば,ソシュールの理論的実践分野は,一般言語学と記号学sémiologieの2領域に大別することができる。

弱冠21歳で発表した《インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européennes》(1878)は少壮(青年)文法学派の業績の一つと考えられていたが,これはすでに従来の歴史言語学への批判の書であり,その関係論的視座は1894年ころまでに完成したと思われる一般言語学理論と通底するものであった。ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・シンボル化活動を〈ランガージュlangage〉とよび,これを社会的側面である〈ラングlangue〉(=社会制度としての言語)と個人的側面である〈パロールparole〉(=現実に行われる発話行為)とに分けた。後2者は,コードとメッセージに近い概念であるが,両者が相互依存的であることを忘れてはならない。人びとの間にコミュニケーションが成立するためには〈間主観的沈殿物〉としてのラングが前提となるが,歴史的には常にパロールが先行し,ラングに規制されながらもこれを変革するからである。ソシュールはついで,言語の動態面の研究を〈通時言語学〉,静態面の研究を〈共時言語学〉とよび,この二つの方法論上の混同をいましめた。彼はまた,プラトンや聖書以来の伝統的言語観である〈言語命名論〉や〈言語衣装観〉を否定し,言語以前にはそれが指し示すべき判然と識別可能な事物も観念も存在しないことを明らかにする。言語とは,人間がそれを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり,恣意的(=歴史・社会的)ゲシュタルトにほかならない。したがって,言語記号は自らに外在する指向対象の標識ではなく,それ自体が〈記号表現〉(シニフィアンsignifiant)であると同時に〈記号内容〉(シニフィエsignifié)であり,この二つは互いの存在を前提としてのみ存在し,〈記号〉(シーニュsigne)の分節とともに産出される(なお,かならずしも適切な訳語とはいえないが,日本における翻訳紹介の歴史的事情もあって,signifiantには〈能記〉,signifiéには〈所記〉の訳語がときに用いられる)。これはギリシア以来の西欧形而上学を支配していたロゴス中心主義への根底的批判であり,この考え方が次に見る文化記号学,文化記号論の基盤になったと言えよう。
言語学

これは社会生活において用いられるいっさいの記号を対象とする学問で,非言語的なシンボルもそれが文化的・社会的意味を担う限りにおいて一つのランガージュとしてとらえられる。その結果,あらゆる人間的行動は,その背後に隠された無意識的ラングという文化の価値体系における〈差異化現象〉として位置づけられ,所作,音楽,絵画,彫刻からモードにいたるまで,すべて〈記号〉の特性のもとにその本質が照射される。狭義の言葉が音声言語であるのは偶然にすぎず,記号とは,視覚,嗅覚,触覚,味覚といったいかなる感覚に訴える手段を用いても顕在化される〈関係態〉であって,それが体系内の何かと対立する限りは,〈実質substance〉を有さないゼロの形をとることさえ可能である。この〈形相forme性〉は〈恣意性arbitraire〉の帰結であり,文化記号の価値は即自的に存在するものではなく,一つには体系内の他の辞項の共存により,二つにはこれを容認し沈殿せしめる集団的実践によって,決定されることが明らかになる。その結果生ずる記号の物神性は,構造自体が内包する反構造的契機によってのみ克服される,と考えたソシュールは,静態的〈記号分析〉から力動的〈記号発生の場〉の闡明(せんめい)へと移行し,晩年の神話・アナグラム研究へと歩を進めたが,その理論的完成を待たずに没し,いくつかの貴重な示唆を残すにとどまった。
記号
執筆者:


ソシュール
Horace Bénédict de Saussure
生没年:1740-99

スイスの科学者,登山家。クーシェに生まれた。大学で哲学を学ぶが自然科学を専門とし,気象学,鉱物学,生物学などを研究,1762-86年ジュネーブ大学教授をつとめた。毛髪湿度計や天色計vanomètreの考案がある。登山史上は〈アルプス登山の父〉といわれ,86年M.パカールとJ.バルマがモン・ブラン初登頂を果たしたのはソシュールの熱心な後援によるもので,翌87年にはソシュール自身もモン・ブランに登頂して気象観測などを行った。また,モンテ・ローザなど多くの山に登り,アルプスの地質構造,氷河,植物分布などの科学的研究を行い,その記録を《アルプス旅行記》4巻(1779-96)に著し,登山誌の古典として,登山愛好家に多くの影響を与えた。なお,《植物の化学的研究》(1804)を著し,植物生理学の分野に功績を残したニコラ・テオドール・ド・ソシュールNicolas Théodore de Saussure(1767-1845)は彼の子であり,言語学者として名高いフェルディナン・ド・ソシュールは曾孫にあたる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ソシュール」の意味・わかりやすい解説

ソシュール(Ferdinand de Saussure)
そしゅーる
Ferdinand de Saussure
(1857―1913)

スイスの言語哲学者。1907年、1908~1909年、1910~1911年の3回にわたってジュネーブ大学でなされた「一般言語学講義」は、同名の題Cours de linguistique générale(1916)のもとに、弟子たちによって死後出版された。そこに読み取られることばの本質をめぐる多様な思索は、人間諸科学の方法とエピステモロジー(認識論)における「実体論から関係論へ」というパラダイム変換を用意した。

 ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・シンボル化活動をランガージュlangageとよび、これをその社会的側面であるラングlangueと個人的側面であるパロールparoleとに分けたが、後二者が相互依存的であることを忘れてはならない。人々の間にコミュニケーションが成立するためには間主観的沈殿物としての価値体系・社会制度が前提となるが、歴史的にはつねに個々人の発話行為が先行し、パロールがラングを変革するからである。

 ソシュールは次いで、言語の動態面の研究を通時言語学linguistique diachronique、静態面の研究を共時言語学linguistique statiqueとよび、この二つの方法論上の混同を戒めた。

 彼はまたプラトンや聖書以来の伝統的言語観である言語名称目録観(ことばは事物や観念の名のリストであるという考え方)を否定し、言語以前には判然とした認識対象は存在しないことを明らかにする。言語とは、人間がそれを通して混沌(こんとん)たる外界を非連続化するプリズムであり、恣意(しい)的ゲシュタルトにほかならない。したがって、ことばの意味は言語記号に外在するのではなく、そのシニフィアンsignifiant(表現)とシニフィエsignifié(内容)はシーニュsigne(記号)の分節とともに共起的に産出される。これは、ギリシア以来の西欧形而上(けいじじょう)学を支配していたロゴス中心主義への根底的批判であり、この考え方が、20世紀の文化記号学の基盤となった。

丸山圭三郎 2018年7月20日]

『小林英夫訳『言語学原論』(1928・岡書院/改題『一般言語学講義』1972・岩波書店)』『丸山圭三郎著『ソシュールの思想』(1981・岩波書店)』『丸山圭三郎編『ソシュール小事典』(1985・大修館書店)』『Robert GodelLes sources manuscrites du cours de linguistique générale (1957, Droz, Genève/Minard, Paris)』『Rudolf EnglerCours de linguistique générale : Edition critique, Vol.Ⅰ,Ⅱ(1967~1968, 1974, Harrassowitz, Wiesbaden)』


ソシュール(Horace Bénédict de Saussure)
そしゅーる
Horace Bénédict de Saussure
(1740―1799)

スイスのジュネーブ生まれの地質学者。ジュネーブアカデミー教授。1786年にヨーロッパ・アルプス最高峰モンブランに初登頂したパッカールMichel-Gabriel Paccard(1757―1827)とバルマーJacques Balmat(1762―1834)の応援をし、翌1787年には自らも登頂した。山岳古典として有名な『アルプス紀行』Voyages dans des Alpes(1780~1796)の著があり、近代登山の父といわれている。

[徳久球雄]

『近藤等訳『アルプス紀行』(『世界山岳全集 第1巻』所収・1961・朋文堂)』


ソシュール(Nicolas Théodore de Saussure)
そしゅーる
Nicolas Théodore de Saussure
(1767―1845)

スイスの植物生理学者。ラボアジエによって基礎づけられた近代化学の定量的方法を用いて、初めて植物体をつくっている物質やその起源について研究し、その結果を『植物の化学的研究』(1804)にまとめて発表した。そのなかで、植物体にみられる炭素は、根によって土中から吸収されるのではなく、空気中の二酸化炭素が光の存在下で吸収され、水と結合して植物体の重量増加をもたらすこと、また、吸収される二酸化炭素量は、放出される酸素量と等しいことも確かめ、光合成の化学的研究の基礎をつくった。父のオラス・ベネディクトHorace-Bénédict de Saussureは地質学者で、近代登山の創始者でもあった。

[真船和夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ソシュール」の意味・わかりやすい解説

ソシュール

スイスの言語学者。ライプチヒ,ベルリン両大学で印欧比較言語学を学んだ。パリの高等学術研究所で比較言語学,のちジュネーブ大学で比較言語学,サンスクリット学を担当,フランコ・スイス学派,ジュネーブ学派の基を築いた。印欧比較言語学についてもすぐれた業績を残したが,没後弟子によって編集・出版されたジュネーブ大学における《一般言語学講義》(1916年)はパロールとラングの分析,共時言語学通時言語学の区別など,言語学の方法論を明確にし,構造言語学の基礎となった画期的著作。その理論はレビ・ストロース(文化人類学)など他分野でも継承,発展され,構造主義の先駆となるとともに,〈実体概念から関係概念へ〉という20世紀人文諸学におけるパラダイム転換に重要な役割をはたした。
→関連項目記号論コペンハーゲン言語学派シニフィアン/シニフィエバンブニストプラハ言語学派

ソシュール

スイスの地質学者,登山家。ジュネーブ近くの農家の子。ジュネーブ大学教授。アルプスの地質研究の開拓者。アルプスを縦横に旅行,《アルプス紀行》4巻を著した。また彼の提供した懸賞がもとで1786年フランス人バルマとパカールがモン・ブランへ登頂,翌年ソシュール自身も登頂に成功,近代アルピニズムへの道が開かれた。
→関連項目アルプス[山脈]登山

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソシュール」の意味・わかりやすい解説

ソシュール
Saussure, Ferdinand de

[生]1857.11.26. ジュネーブ
[没]1913.2.22. ジュネーブ
スイスの言語学者,ジュネーブ大学教授 (1901~13) 。 20世紀の言語学に決定的な影響を与え,構造主義言語学の祖とも呼ばれる。みずからは印欧語比較文法の分野で少数の論文を残しただけであるが,そのなかでは印欧祖語に新しい音素を設定した『インド=ヨーロッパ諸語の母音の原体系についての覚え書』 (1878) が特に有名である。言語学史上,重要な意義をもつのは,ジュネーブ大学での講義を彼の死後 C.バイイと A.セシュエが編集して出版した『一般言語学講義』 Cours de linguistique générale (1916) で,ここでは,言語活動をラングパロールに分け,言語学はまずラングを対象とするものであり,その研究法として共時言語学通時言語学とを峻別すべきことを説く。そして,言語の本質は互いに対立をなしておのおのの価値をもつ要素から成る記号体系であると強調する。これらの学説は,当時歴史的な面に集中していた言語研究を記述言語学へと向わせ,個別的なものの寄せ集めになりがちだった記述に構造,体系の骨組みを与えるうえに決定的な役割を果し,直接的にジュネーブ学派の祖となるとともに,間接的には欧米の構造言語学の出発点となった。

ソシュール
Saussure, Nicolas Théodore de

[生]1767. ジュネーブ
[没]1845. ジュネーブ
スイスの植物学者。父は高名なアルプス探検家。植物の養分摂取や炭酸同化について広範な研究を行なった。とりわけ,生長のみならず植物の生存にとっても二酸化炭素 (炭酸ガス) が必須であり,炭酸同化の際に植物が酸素を放出すること,光が当っていなければそれが起らないことを明らかにしたのは重要な業績とされる。また,植物を焼いたあとに残る灰は根が土中より吸収した無機物に由来することを立証し,それら無機物が植物の生長にとって本質的な役割を果すことに気づいた。以上のような結論はすべて定量的な実験に基づいて引出されており,著書『植物に関する化学的研究』 Recherches chimiques sur la végétation (1804) は,植物の栄養生理に関する研究にとって礎石の一つとなった。

ソシュール
Saussure, Horace Bénédict de

[生]1740.2.17. ジュネーブ
[没]1799.1.22. ジュネーブ
スイスの物理学者,地質学者,アルプス登山の祖。1762年にジュネーブ・アカデミーの物理学,哲学教授に就任。1766年,おそらく世界初の電位計を開発した。30年以上に及ぶ地質学研究の成果をまとめた著作 "Voyages dans les Alpes"(1779~96)第1巻で,「地質学」ということばを初めて使用した。1783年,ヒトの毛髪を使った湿度計(毛髪湿度計)を考案した。花崗岩の起源の調査実験なども行なった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「ソシュール」の解説

ソシュール

生年月日:1767年10月14日
スイスの植物学者
1845年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のソシュールの言及

【記号】より


[現代文化記号論の発展]
 人間と文化を記号として解明しようとする現代文化記号論の理論モデルは構造言語学である。パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。…

【構造言語学】より

…彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]
 近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれるF.deソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリでA.メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。…

【バイイ】より

…ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。…

【メルロー・ポンティ】より

…人間的実存についてのこうした考えに立って彼は,《ヒューマニズムとテロル》(1947)や《意味と無意味》(1948)に集められた論文において,マルクス主義の歴史哲学や政治哲学に新たな照明を当て,それを決定論や全体主義から解放することによって,実存主義とマルクス主義の統合を図っている。
[中期の思想]
 1940年代末に行われたソシュール言語学の批判的摂取がきっかけとなり,50年代に入るとその思想は〈構造主義〉といってもよい方向に新たな展開を見せる。初期の思想が言語以前の知覚経験を根源的なものと見,言語をその延長線上に位置づけていたのに対し,この時期には知覚経験そのものがすでに言語によって媒介されていると考えられ,そこにもラングとパロールの関係が探しもとめられることになる。…

【アルピニズム】より

…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…

【スイス】より

…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソーH.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…

【アルピニズム】より

…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…

【アルプス[山脈]】より

…この日,アルプスの最高峰モン・ブランは,シャモニに住む水晶採りのジャック・バルマと医者のガブリエール・パカールによって初登頂された。この登頂にはスイスの学者H.B.deソシュールが大きく貢献している。ここに山登りそのものを目的とする〈登山〉という新しいスポーツが誕生した。…

【スイス】より

…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソーH.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…

【登山】より


[近代的登山の発展]
 近代的登山の幕開けとなったのはアルプスの最高峰モン・ブラン(4807m)登頂である。1760年,ジュネーブの自然科学者H.B.deソシュールはフランスのシャモニを訪れ,モン・ブランの初登頂者に賞金を出すことを提唱し,これにこたえ86年シャモニの医者M.G.パカールと案内人の水晶取りJ.バルマが登頂に成功した。ソシュール自身も翌年登頂している。…

【モン・ブラン[山]】より

…初登頂は1786年8月8日。スイス人地質学者H.B.deソシュールの賞金提供(1760)がきっかけで,地元シャモニの医師G.パカールと水晶採りのJ.バルマの両名によってフランス側からなされた。これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。…

※「ソシュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android