Jundīshāpūr(その他表記)Jundishapur

世界大百科事典(旧版)内のJundīshāpūrの言及

【アラビア医学】より

…これらの中には現代医学の知識から見ても合理的なものもあるし,いわゆる民間療法の域を出ないものもある。 イスラムが興り,アラブによる大征服が行われた7世紀ころ,カリフ政権下に入った広大な地域で医学の一大中心地となっていたのはエジプトのアレクサンドリアと,もとササン朝ペルシア領内にあったフージスターン州のジュンディーシャープールJundīshāpūrとであった。これらはみなヒッポクラテスやアリストテレス,ガレノスその他の流れをひくギリシアの合理的医学の上に立つ学派であったが,イスラム帝国の支配階級たるアラブは,これら先進の医学を尊重し,人種,宗教の差別を問わず,ユダヤ教徒,キリスト教徒,ゾロアスター教徒,サービア教徒などの医者を登用し,また若干のインドの医者などをも,その宮廷に招いた。…

【グンデシャープール】より

…またインド医学も伝えられ,東西文化交流の拠点となった。641年イスラムに占領されジュンディーシャープールJundīshāpūrと呼ばれたが,その研究施設やペルシア語文献,シリア語文献のアラビア語翻訳を通じて,アラビア科学の成立に重要な貢献を果たした。【佐藤 進】。…

※「Jundīshāpūr」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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