世界大百科事典(旧版)内のKalīmAllāhの言及
【バフマニー朝】より
…デリーを拠点とするトゥグルク朝第2代王ムハンマド・ブン・トゥグルクの内政,軍事遠征の失敗に乗じて,1347年デカン地方に派遣されていたアフガン出身のトルコ系太守アラー・ウッディーン・ハサン‘Alā’ al‐Dīn Ḥasanは〈バフマン・シャーBahman Shāh〉と称して独立を宣言,首都をグルバルガにおく。1527年第18代王カリーム・アッラーKalīm Allāhの死まで約180年続いた王朝は,南インドのヒンドゥー王朝ビジャヤナガルと,ゴールコンダのダイヤモンド鉱やクリシュナー川,トゥンガバドゥラー川の両河地域の領有をめぐって抗争を繰り返した。ムスリム支配をデカン地方に確立したとはいえ,行政・徴税面ではバラモンやマラーターに依拠せざるを得なかった。…
※「KalīmAllāh」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」