世界大百科事典(旧版)内のKhwājaAḥrārの言及
【ナクシュバンディー教団】より
…教義・修行方法は厳格なスンナ主義,シャリーア主義を貫き,黙誦による心のジクルによって神との合一を目指し,他の諸教団にみられるサマー(音曲などを聞きつつ陶酔境に入る修行方法),遊行,独居といった修行方法を禁じ,あくまで民衆と交わりつつ心の内面を鍛練して高い宗教的境地に達することを目指した。15世紀にはティムール朝の支配者たちの支持を得て発展し,とくに教団の長ホジャ・アフラールKhwāja Aḥrār(1404‐90)の時代には,莫大な財産を背景に政治面においても大きな影響力を発揮した。14世紀に東トルキスタン,16世紀にはアナトリア,インド,18世紀にはシリア,ボスニア(バルカン半島),19世紀にはスマトラ,ボルネオ,マレー半島,クルディスターン(イラン北西部,イラク北部)などにも進出して,諸地方の宗教運動史上に残る重要な役割を演じた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」