改訂新版 世界大百科事典 「カラコユンル朝」の意味・わかりやすい解説
カラ・コユンル朝 (カラコユンルちょう)
Qara Qoyunlu
14世紀後半に勃興し,15世紀初頭より約60年間,東部アナトリア,イラク,イラン,アゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系の王朝。1375ころ-1469年。黒羊朝(こくようちよう)とも呼ばれる。史書中ではバラーニーBarānīとして知られる。始祖バイラム・ホージャBayram Khwājaは14世紀の70年代モンゴル系のジャラーイル朝から独立し,東部アナトリア,モースル地方を中心に勢力を固めた。15世紀初頭第3代カラ・ユースフQara Yūsufは,西アジアに遠征したティムールに対抗して国土を一時占領されたが,ティムールの中央アジア帰還後,勢力を回復してその領土はイラク,イランに及び,ティムール朝を脅かした。カラ・ユースフの子ジャハーン・シャーJahān Shāh(在位1439-67)の治世のときカラ・コユンル朝はその最盛期を迎えたが,1467年ジャハーン・シャーは東部アナトリアで同じくトルクメン系のアク・コユンル朝のウズン・ハサンの軍に敗れ,その支配領域はそのままアク・コユンル朝の支配下に移った。
執筆者:井谷 鋼造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報