世界大百科事典(旧版)内のKulturfilmの言及
【ドキュメンタリー映画】より
…グリアソンは漁夫の日常生活を通して労働と社会とのかかわりを描いた《流し網漁船》(1929)でその流れの基礎を築き,バジル・ライトの《セイロンの歌》(1934)やポール・ローサの《造船所》(1935)など,詩情よりも〈社会的メッセージ〉を重視するドキュメンタリーが発展した。 ドイツでは,いわゆる〈クルトゥールフィルムKulturfilm〉(〈文化映画〉と訳されて日本語に定着している)がつくられ,なかでもワルター・ルットマンの《伯林――大都会交響楽》(1927)や《世界のメロディ》(1929)は,ベルトフの〈映画眼〉理論の〈リズムのモンタージュ〉に影響された代表的な長編ドキュメンタリーである。 フランスのドキュメンタリーは,20年代に純粋な視覚的表現を意図した芸術運動である〈アバンギャルド映画〉と密接なかかわりをもっているが,アルベルト・カバルカンティの《時の外何物もなし》(1926)やジャン・エプスタンの《地の果て》(1929)などがつくられた。…
【文化映画】より
…文化記録映画を意味するドイツ語のKulturfilmの直訳で,〈教育映画〉あるいは〈短編記録映画〉などともほぼ同義に用いられる。戦前は広く記録映画一般を指すことばであったが,1939年の〈映画法〉制定の際,劇映画とニュース映画を除く映画の総称として〈文化映画〉が法令用語すなわち公用語になった。…
※「Kulturfilm」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」