世界大百科事典(旧版)内のKundakundaの言及
【インド哲学】より
…またいっさいの衆生は如来となる可能性があるとする如来蔵思想が成立,仏教のベーダーンタ哲学への接近を示している。一方ジャイナ教では,1世紀ころまでに白衣派と空衣派の2派に分裂したが,体系化の風潮の中で,空衣派のクンダクンダKundakundaや白衣派のウマースバーティらがジャイナ教義の体系化に貢献し,七原理の説や七句表示法が確立した。正統バラモン教においても哲学学派が確立し,インド思想潮流の主流を形成した。…
【ジャイナ教】より
…サンスクリット語で最初に書かれたのは有名なウマースバーティUmāsvātiの教理綱要書《タットバールターディガマ・スートラ》であるが,サンスクリット語の使用ものちには両派において一般化した。裸行派の著名な学匠クンダクンダKundakunda(4~5世紀)は自派の聖典用語で《ニヤマサーラNiyamasāra》など哲学書を書いた。ジャイナ教の学匠のなかでもっとも広く知られているのは白衣派のヘーマチャンドラ(12世紀)であろう。…
【パンチャースティカーヤサーラ】より
…ジャイナ教空衣派の著名な学僧クンダクンダKundakunda(2~3世紀ころ)の著した教義綱要書。題名は〈五つの存在の聚(あつまり)についての精要〉の意。…
※「Kundakunda」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」