世界大百科事典(旧版)内のMūsāal-Kāẓimの言及
【イスマーイール[1世]】より
…在位1501‐24年。アゼルバイジャンのアルダビールに生まれ,シーア派第7代イマーム,ムーサーMūsā al‐Kāẓimの子孫と称した。クズルバシュを率いて1500年シルバンを占領し,翌年タブリーズに入って即位。…
【イスマーイール派】より
…イスラムの十二イマーム派の分派で過激シーア派。シーア派第6代イマーム,ジャーファル・アッサーディクJa‘far al‐Ṣādiq(699ころ‐765)は長子イスマーイールIsmā‘īl(?‐760)を後継イマームに任命したが,飲酒などの悪癖があったため任命を取り消して弟のムーサーMūsā al‐Kāẓim(745ころ‐799)を任命した。長子は父の存命中760年に没したが,任命取消しを認めない一部の者たちは,イスマーイールこそ第7代イマームであり,最後のイマームであると主張し七イマーム派と呼ばれた。…
※「Mūsāal-Kāẓim」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」