世界大百科事典(旧版)内のMaghāribaの言及
【エルサレム】より
…しかし,こうしてエルサレムがキリスト教一色に塗りつぶされる1世紀を経たのち,1187年サラーフ・アッディーン(サラディン)はこれを奪回し,アクサー・モスクでの集団礼拝が盛大に行われ,ハラム・アッシャリーフは清掃・再建された。やがて同区域の西の壁に沿って,夜の旅でムハンマドを運んだ天馬ブラークをつないだとされる場所に,マガーリバMaghāribaモスク(別称ブラーク・モスク)も建てられた。エルサレム回復後は,サラーフ・アッディーンが十字軍との戦争継続状態のもとでも,同市へのキリスト教徒の来訪・居住を許したように,ムスリム支配下のエルサレムは,再びキリスト教徒にもユダヤ教徒にも開かれた都市とされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」