Pārsa(その他表記)Parsa

世界大百科事典(旧版)内のPārsaの言及

【ペルシア】より

…おもに欧米で用いられてきたイランの別称。もともとはアケメネス朝が拠ったイラン南西部の一地方名パールサPārsa(現代ペルシア語ではアラビア語化されたファールスFārsとして残っている)に由来するが,アケメネス朝のイラン高原統一によってイラン全体を含む概念に拡大された。アケメネス朝期のギリシア史家の用いたペルシスPersisが,ラテン語形ペルシアを経て,ヨーロッパに入ったものである。…

【ペルシア帝国】より

…彼らは当時ウルミエ(レザーイエ)湖南西部にいたが,その後ザーグロス山脈を南下し,前7世紀前半にエラムのアンシャン地方に入って定住した。この地はやがて彼らの名にちなんでパールサPārsa(ギリシア語ペルシスPersis,ラテン語ペルシアPersia)と呼ばれた。現在のファールスFārs州である。…

【ペルセポリス】より

…ペルシア帝国の都。ペルセポリスはギリシア人の呼称で,古代ペルシア語名はパールサPārsa。遺跡は現在タフテ・ジャムシードTakht‐e Jamshīd(〈ジャムシードの玉座〉の意)と呼ばれている。…

※「Pārsa」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む