世界大百科事典(旧版)内のSowetoの言及
【アパルトヘイト】より
…70年代に入り人種差別政策への国際的非難が高まり,周辺諸国で黒人支配移行への動きが強まると,政府はこれらのバントゥースタンに〈独立〉を付与していったが,このみせかけの独立に対し,世界のどの国も承認を与えなかった。 1976年のソウェトSoweto蜂起は,1960年代初めに非合法化された民族運動に代わって,学生・民衆の反人種主義運動の力を示すものであった。この事件を契機に政府は産業・労働分野での白人とアフリカ人の関係を再検討するため労働法調査委員会を任命し,79年にその勧告案に基づいて改正産業調停法を大幅に改め,アフリカ人労働組合の権利を認めた。…
【南アフリカ】より
…しかし,国際非難が高まるなかで86年,法としては廃止された。ヨハネスバーグ南西の黒人居住区はソウェトSoweto(南西タウンシップの略)と呼ばれ,人口は公称60万であるが,実態は200万ともいわれる。【赤阪 賢】【編集部】
【歴史】
17世紀の白人来住以前のこの国には狩猟・採集民のサン(ブッシュマン),牧畜民のコイ・コイン(ホッテントット)が住んでいた。…
※「Soweto」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」