ソウェト蜂起(読み)ソウェトほうき

百科事典マイペディア 「ソウェト蜂起」の意味・わかりやすい解説

ソウェト蜂起【ソウェトほうき】

南アフリカ共和国ヨハネスバーグ近郊にあるソウェトSoweto居住区での,アフリカ人学生による抗議デモとそれに端を発する全国的暴動。1976年6月16日,アフリカーンス語の強制学習に抗議するアフリカ人学生のデモに警察が発砲し多数犠牲者が出た。これを機に抗議行動が全国に波及し,反アパルトヘイト暴動に発展する。政府弾圧で575名の死者が出たとされるが,沈滞していた反アパルトヘイト運動を再活性化させる契機になった。→アパルトヘイト
→関連項目南アフリカヨハネスバーグ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソウェト蜂起」の意味・わかりやすい解説

ソウェト蜂起
ソウェトほうき
Soweto Rebellion

南アフリカ共和国で 1976年6月に起こった反アパルトヘイト闘争。ソウェトはヨハネスブルク郊外のタウンシップ (黒人居住区) 。アフリカーンス語の強制学習に反対する南アフリカ共和国学生運動 SASMがソウェト学生代表評議会 SSRCを創設し,6月 16日,大規模デモを開始した。このデモに武装警察が発砲し,死者 500人以上,負傷者 2000人以上を出した。他の黒人タウンシップへも暴動が広まり,騒乱は 1977年まで続いた。アフリカーンス語の強制学習は中止されたが,この事件後,南ア共和国を取り巻く国際環境は厳しくなった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ソウェト蜂起」の解説

ソウェト蜂起(ソウェトほうき)
Soweto

ソウェト事件ともいう。1976年6月南アフリカ共和国ヨハネスブルグのアフリカ人居住区ソウェトで起きた学生の抗議デモとその後の全国的暴動。アフリカーンス語の強制学習への抗議から始まる。反アパルトヘイト運動の再活性化の起爆剤となった。

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世界大百科事典(旧版)内のソウェト蜂起の言及

【アパルトヘイト】より

…アフリカーンス語で〈隔離〉を意味する語。南アフリカ共和国で行われていた極度の人種差別の政策・制度を指し,通常〈人種隔離〉と訳す。南ア共和国は多人種社会で,512万人の白人が3423万人(1992)の非白人(アフリカ人,カラード,アジア人)を政治・経済・社会のあらゆる面で差別していた。たとえば,非白人には参政権がなく,最近までは労働組合の登録を認められていなかったため団体交渉権はなく,白人との労働条件の格差は大きかった。…

※「ソウェト蜂起」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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