デジタル大辞泉
「黒田官兵衛」の意味・読み・例文・類語
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黒田官兵衛
日本の戦国時代から江戸前期にかけての武将・大名。1546年、姫路生まれ。九州・福岡藩52万石の礎を築いた人物で「天才軍師」と称されている。黒田孝高(よしたか)が正式の名前で、官兵衛は字(あざな)。出家後は如水の号を名乗った。播磨国(現兵庫県)姫路城主の長男として誕生し、22歳で家督を継いで父・職隆と同様に小寺家家老の座についた。織田信長が勢力を伸ばしつつあった当時、豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。キリシタン大名でもあり、子に黒田長政がいる。2014年、NHKが、この黒田官兵衛を主役として大河ドラマを制作。タイトルは「黒田官兵衛」で、人気グループV6の岡田准一が官兵衛を演じる。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の黒田官兵衛の言及
【黒田孝高】より
…織豊政権期の武将。名は官兵衛。勘解由次官,如水円清などを称す。一族は,播磨守護赤松氏や小寺氏に仕え,初め小寺姓を名のった。織田信長の中国進出にくみし,羽柴秀吉の参謀として軍略家の名をはせた。1578年(天正6)荒木村重が信長に背いたとき,説得に赴いたが失敗した。80年,播磨揖東郡内1万石を与えられたのを始めとして,数々の戦功により,九州征伐後の87年には,豊前6郡を領した。89年,剃髪して家を子長政に譲り,秀吉に近侍し,小田原征伐,文禄・慶長の役などおもに軍事面で活躍した。…
※「黒田官兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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