佐野善左衛門(読み)さの ぜんざえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐野善左衛門」の解説

佐野善左衛門 さの-ぜんざえもん

佐野政言(さの-まさこと)

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「佐野善左衛門」の解説

佐野善左衛門
さのぜんざえもん

歌舞伎浄瑠璃外題
初演
明治33.3(大坂・浪花座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐野善左衛門」の意味・わかりやすい解説

佐野善左衛門
さのぜんざえもん

佐野政言

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐野善左衛門の言及

【佐野政言】より

…江戸中期の旗本,新番士。通称善左衛門。1784年3月24日,江戸城中で若年寄田沼意知(おきとも)に切りつけ,意知を死に至らしめた。政言は乱心という理由で切腹を命ぜられ,浅草徳本寺に埋葬された。ちょうど江戸の米価が下がりつつあったことと結びつけて,当時の町人たちは政言を〈世直し大明神〉と称して,この事件を政言の義挙として歓迎した。なお政言の意知襲撃の理由は私憤であったといわれる。【佐々木 潤之介】…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」