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佐野政言 さのまさこと

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐野政言
さのまさこと

[生]宝暦7(1757).江戸
[没]天明4(1784).3.25. 江戸
江戸時代中期の旗本。田沼家に頼って栄達をはかろうとしたが裏切られ,貴重な系図を奪われるなどの恨みが重なり,若年寄田沼意知を刺殺。これにより田沼の勢力は衰え,世間は政言をあがめて「世直し大明神」と呼んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐野政言 さの-まさこと

1757-1784 江戸時代中期の武士。
宝暦7年生まれ。幕臣。天明4年3月24日江戸城内で若年寄田沼意知(おきとも)に重傷を負わせ,それがもとで意知が没したため,同年4月3日切腹となった。28歳。事件が米価の下落時期とかさなり,世人は「世直し大明神」とたたえたが,刃傷の理由は私憤であったという。江戸出身。通称は善左衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐野政言

没年:天明4.4.3(1784.5.21)
生年:宝暦7(1757)
江戸中期の旗本。政豊の子。善左衛門と称した。幕臣で代々500石を領し,新御番となった。天明3(1783)年冬,将軍徳川家治の鷹狩りに選抜されて名誉な供弓として参加し,雁1羽を射ち取ったが,不明瞭な理由で何の恩賞もなかった。政言はこの不公平な沙汰を,若年寄田沼意知の依怙贔屓によるものと恨み,翌4年3月24日江戸城桔梗の間で意知に切り付け,意知は重傷を負って3月26日死去,政言は揚座敷で切腹を命ぜられた。この刃傷沙汰は老中田沼意次・意知父子が主筋に当たる佐野の家の系図を借り受け,たびたびの催促にもかかわらず返済しないで,横取りしたのが原因ともいう。死後政言は,田沼の専横を喜ばぬ江戸庶民に「世直し大明神」とたたえられ,その墓には香華が絶えなかったと伝えられ,黄表紙『黒白水鏡』(石部琴好作,山東京伝画。1789刊)はこの一件をあからさまに趣向とした作として知られ,筆禍を被った。

(宇田敏彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さのまさこと【佐野政言】

1757‐84(宝暦7‐天明4)
江戸中期の旗本,新番士。通称善左衛門。1784年3月24日,江戸城中で若年寄田沼意知(おきとも)に切りつけ,意知を死に至らしめた。政言は乱心という理由で切腹を命ぜられ,浅草徳本寺に埋葬された。ちょうど江戸の米価が下がりつつあったことと結びつけて,当時の町人たちは政言を〈世直し大明神〉と称して,この事件を政言の義挙として歓迎した。なお政言の意知襲撃の理由は私憤であったといわれる。【佐々木 潤之介

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐野政言
さのまさこと
(1757―1784)

江戸後期の中級幕臣。通称善左衛門(ぜんざえもん)。1773年(安永2)家を継ぎ、77年大番、78年新番の番士となる。84年(天明4)3月24日、昇進のために贈った賄賂(わいろ)などに絡む私憤から、江戸城中で若年寄田沼意知(たぬまおきとも)に刃傷(にんじょう)したと世上いわれるが(政治的暗殺とみる噂(うわさ)もある)、史料的な裏づけがない。幕府の吟味書(政言の取調べ書)によると、乱心して衝動的に刃傷に及んだのが真相らしい。意知の死により、政言は改易切腹となり、江戸浅草徳本寺に葬る(同寺の過去帳によると、政言は「まさつね」と読む)。折から米価が下落し、田沼政権への反発と重なって、世人は政言を「佐野大明神(後年には世直し大明神)」とたたえた。妻の兄村上義礼は寛政(かんせい)期(1789~1801)の(江戸)町奉行(ぶぎょう)[山田忠雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の佐野政言の言及

【田沼騒動物】より

…歌舞伎,浄瑠璃の一系統。1784年(天明4)江戸城内で佐野善左衛門(佐野政言)が若年寄田沼意知(おきとも)を刃傷,佐野が切腹した事件を扱った作品群。田沼親子の専横に民衆の反感は強く,佐野の墓所には世直し大明神の幟(のぼり)が奉納された。…

【世直し】より

…もともとは,縁起直し,世の中の悪い状態を直すことを意味する語として,また地震,雷などを除ける呪(まじな)いの言葉として,17世紀末ごろから都市民の間で使われた言葉である。
[世直し大明神]
 1784年(天明4)3月24日,新番組の旗本佐野善左衛門政言(まさこと)が,江戸殿中で当時権勢並ぶ者がないといわれた田沼父子のうちの田沼意知(おきとも)に斬りつけ,これがもとで意知は3月26日に死に,意知の父意次(おきつぐ)も急速に権勢を弱め,86年老中を免職となり,翌87年に減封された。…

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