征西将軍宮(読み)セイセイショウグンノミヤ

デジタル大辞泉 「征西将軍宮」の意味・読み・例文・類語

せいせいしょうぐん‐の‐みや〔セイセイシヤウグン‐〕【征西将軍宮】

懐良かねなが親王異称

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「征西将軍宮」の意味・わかりやすい解説

征西将軍宮
せいせいしょうぐんのみや

懐良親王」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の征西将軍宮の言及

【征西将軍】より

… 以来久しく征西将軍府は設置されなかったが,後醍醐天皇は九州地方における南朝勢力の拡大を意図し,1338年(延元3∥暦応1)皇子懐良(かねよし)親王を征西将軍に任じ下向させた。親王は五条頼元以下少数の従者を率いて42年(興国3∥康永1)5月1日薩摩国に上陸し,征西将軍宮と称された。親王は薩摩国谷山郡(現,鹿児島市)の谷山城を本拠として谷山御所と称し,肥後国の菊池氏,阿蘇氏をはじめ南朝支持勢力の組織化に努めた。…

※「征西将軍宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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