《戌歳里見八熟梅》(読み)あたりどしさとみのやつふさ

世界大百科事典(旧版)内の《戌歳里見八熟梅》の言及

【南総里見八犬伝】より

…この江戸初演に際し,馬琴は〈江戸の芝居作者は負をしみにて,当今の読本抔(など)を狂言にいたし候事は甚(はなはだ)悪(にくみ)候〉云々と友人宛の書簡中に記しているが,この時代には小説を劇化することは,芝居作者の沽券(こけん)にかかわることとされていた。さらに38年閏4月江戸市村座の《戌歳里見八熟梅(あたりどしさとみのやつふさ)》(7幕,中村重助作)は同じく大入りとなったが,〈以前の方脚色優れり〉と評された。ついで52年(嘉永5)正月市村座の《里見八犬伝》(7幕,3世桜田治助作)は信乃のくだりから古那屋まで,ほかに対牛楼と富山(富本節で女鳴神の趣向)を加えた新脚本で,これは好評を博し,定本化の基礎となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」