改訂新版 世界大百科事典 「アントーノフの反乱」の意味・わかりやすい解説
アントーノフの反乱 (アントーノフのはんらん)
Antonovshchina
ロシア南西部,中央農業地帯のタンボフ県で1920年夏から21年夏にかけて起こった大規模な反ソビエト農民反乱で,内戦後半期の農民反乱の一つ。アントーノフAleksandr S.Antonov(1888-1922)は1906年以来のエス・エル党員でこの反乱の指導者。タンボフ県は中央農業地帯のリャザン県,ボルガ中流域のカザン県,ペンザ県とならんで十月革命以前から農民運動の盛んな地域であり,また内戦を通じてきびしい穀物徴発(1918-21)の行われた所である。農民は〈人馬の解放〉を旗じるしに無党派の〈勤労農民同盟〉を20年5月に結成して,穀物徴発,チェーカー行政をはじめとするボリシェビキ政権の政策に反対してゲリラ戦を開始した。農民の〈人民軍〉は2万~4万人に達し,タンボフ全県をおおった。ソビエト政権はこの鎮圧のため,アントーノフ・オフセエンコVladimir A.Antonov-Ovseenko,トハチェフスキーを派遣し,4万人をこえる兵力を投入して21年7月これを制圧した。反乱の指導者であったアントーノフは22年6月タンボフで死去した。
執筆者:中井 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報