ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カリー・ボーリー」の意味・わかりやすい解説
カリー・ボーリー
KharīBolī
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…14世紀以降は,アワディー方言による恋愛物語と,同方言を文語化した言語によるラーマ信仰の叙事詩がつくられる一方,ブラジュ方言に基づく文語でクリシュナ信仰の抒情的な詩と技巧的な恋愛詩がよまれるようになった。そして19世紀中ごろからは,ムガル朝治下で広い地域に普及していたカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言が先行の諸文語の語彙をとりいれながら共通語となって,従来の韻文から散文を主とする近・現代文学を担うこととなった。 ヒンディー文学の主要な潮流を,そのつくり手と主題などに着目しながらほぼ年代順に概観すると,ナルパティ・ナルハーの《ビーサルデーバ・ラーソー》(12世紀),チャンド・バルダーイーの《プリトゥビーラージ・ラーソー》(12世紀末?)などの叙事詩は,宮廷詩人が民間の物語を自由にとりいれながら王侯・貴族をたたえたものである。…
…当時パンジャーブからデリー周辺の広範な地域で使用されていたインド・アーリヤ語系の方言に,これら外来者のペルシア語,アラビア語などの語彙が混入して徐々に発達したのがウルドゥー語である。基礎となった方言はパンジャービー,カリー・ボーリーKharī‐Bōlīなどいくつかの説がある。ウルドゥー語はインドでは標準語の一つとして北インド一帯を中心に数千万の使用者があり,パキスタンでは国語としての普及活動が熱心に行われている。…
…その過程で明晰な散文が必要になり,自らそれを築きあげ,後進の文章の手直しをした。また詩作も,評論や小説と同じカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言にもとづく共通ヒンディー語で行う運動を推進し,ほぼ実現した。【坂田 貞二】。…
…それらで彼が訴えたのは,インドの伝統の再興と民族意識の高揚の必要であった。そのほかヒンディー語雑誌を発刊して幾多の俊英を育てるなど,近代を開拓した功績が大きいが,言語的には詩作は前代の詩語ブラジュ・バーシャーにより,評論と戯曲では注目され始めたカリー・ボーリー(共通ヒンディー語の母胎となった言語)によるという二重性を残した。【坂田 貞二】。…
… ヒンディー語という名称は今日では次の4とおりの意に用いられる。(1)狭義にはドアーブ(ガンガー(ガンジス),ヤムナー両河に挟まれた地域,とくにデリー,メーラト周辺)地方のカリー・ボーリー方言。(2)カリー・ボーリー方言に近接の諸言語・方言および古典語の要素が加わって形成された北インドの共通語。…
…名称は〈ヒンドゥスターン(インド)〉を指す地名から派生した。狭義には北インドのドアーブ地方のカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言の別名として,広義には同方言を基盤に形成された北インド一帯の共通語を指すのに用いられる。後者の用法のほうがより一般的である。…
※「カリー・ボーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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