ペルシア語(読み)ぺるしあご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペルシア語」の意味・わかりやすい解説

ペルシア語
ぺるしあご

インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派のうち西南イラン語に属する言語で、イランの国語、公用語。歴史的には古代・中世・近世ペルシア語からなるが、一般にペルシア語は、7世紀なかばから今日に至るイスラム時代のペルシア語を意味する。

 古代ペルシア語アケメネス朝(前6~前4世紀)諸王の碑文を刻むのに用いられた言語で、楔形(くさびがた)文字で書かれ、ダリウス大王のビーストゥーン(ベヒスタン)碑文やペルセポリス碑文で名高い。インド・ヨーロッパ語の特色である屈折性を有し、数、性、格ともかなり複雑である。

 中世ペルシア語は紀元前4世紀からイスラム期に至る言語で、アルサケス朝ササン朝の公用語で、とくにササン朝時代にはパフラビー語ともよばれた。ゾロアスター教関係の文献が多く、セム系アラム文字で表記され、ササン朝滅亡後も紀元後9世紀ごろまで一部で用いられた。一文字多音、史的記法、訓読語詞などのためにきわめて難解な言語である。

 近世ペルシア語(単にペルシア語)は中世ペルシア語を母体として成立し、アラビア文字28字にペルシア語の音を表す四字を加えて、計32文字で表記され、アラビア語からの借用語が多い。7世紀なかばにイスラム・アラブ軍に征服、支配されて、約2世紀間イランの公用語にはアラビア語が用いられ、この間に近世ペルシアが成立し、主として話しことばとして用いられた。9世紀にイラン系民族王朝が樹立されると、ペルシア語はしだいに文学語として用いられ始め、10世紀にサーマーン朝が樹立され、民族文化復興政策をとった結果、ペルシア語は詩と散文の両分野において完全に基礎を確立した。古代ペルシア語から中世ペルシア語への移行の場合に、すでに文法はかなり簡素化したが、イスラム期において近世ペルシア語はいっそう文法、発音の面で容易になり、イランの文化発展に伴い、中世においてはイランだけでなく、東は北インド、アフガニスタン、西はトルコ、北は中央アジアにわたる広大な地域で公用語、学術語として用いられ、イスラム世界においてアラビア語に次ぐ重要な地位を占めた。10世紀から15世紀末に至る間にペルシア語はもっとも輝かしい時代を迎え、詩においては幾多の大詩人が輩出し、散文においても歴史、地理、伝記などに多くの優れた作品が執筆された。「東洋フランス語」としても知られるこの甘美な言語は、西欧の東洋学者の研究対象となって久しく、わが国でもいくつかの大学で教育、研究が行われている。

 なお、アフガニスタンではダリー語とよばれ、同国の公用語の一つである。

[黒柳恒男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペルシア語」の意味・わかりやすい解説

ペルシア語
ペルシアご
Persian language

イランの公用語として,またアフガニスタン,タジキスタンなどで合計約 4000万人に話されている言語。インド=ヨーロッパ語族のイラン語派に属する。文字は,キリル文字で書かれるタジク方言は別として,アラビア文字が用いられる。語彙にはアラビア語からの借用語が多い。歴史的にみると,ペルシア語は,アケメネス朝諸王の碑に用いられた古期ペルシア語にまでさかのぼることができ,その後 10世紀頃までを中期ペルシア語,それ以後を近代ペルシア語という。

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