日本大百科全書(ニッポニカ) 「サント・マドレーヌ聖堂」の意味・わかりやすい解説
サント・マドレーヌ聖堂
さんとまどれーぬせいどう
Sainte Marie Madeleine
パリのマドレーヌ広場にある古典主義建築の教会堂。1764年、ディブリPierre Contant d'Ivry(1698―1777)の設計のもとに起工されたが、フランス革命のため工事は中断された。1806年、ナポレオンは軍人の記念堂とすることとし、ビニョンPierre Alexandra Vignon(1763―1828)に設計が託され、1842年に完成。この間に情勢が変わってふたたび教会となり、現在に至る。高さ20メートルのコリント式列柱に取り巻かれたギリシア神殿風の外観を呈し、破風(はふ)はルメールの彫刻『最後の審判』で飾られている。奥行108メートル、間口43メートル、高さ30メートルの巨大な建物で、ラ・マドレーヌの名でパリ市民に親しまれている。
[篠塚二三男]