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彫刻 ちょうこく sculpture

翻訳|sculpture

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

彫刻
ちょうこく
sculpture

木,石,金属,粘土,象牙,ろう,石膏,現代ではアルミニウムプラスチックガラスなどを材料として図像を三次元的に表現する美術。石や木のように素材を彫り込んで形象を作る場合と粘土や石膏のように次第に肉づけして作る場合とがあり,狭義には前者を彫刻,後者を彫塑と呼ぶ。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐こく〔テウ‐〕【彫刻】

[名](スル)木・石・金属などに文字や絵・模様を彫り込むこと。また、木・石・金属などを彫り刻んで立体的な像につくり上げること。また、その作品。「大理石に彫刻する」「仏像彫刻」→彫塑(ちょうそ)

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうこく【彫刻 sculpture】

立体的な形象を形成する芸術。絵画芸術が二次元平面での形成と表現であるのに対して,彫刻は三次元的空間を場として創造行為を行う。したがって,鑑賞も,現実の光と影,触知性,運動性を媒介としてなされる。彫刻は,丸彫彫刻と浮彫,さらに近代のモビールmobileに大別される。このうち浮彫は,絵画の平面性に近い部分をもつが,その場合でも現実の明暗と作品の凹凸の関連が,鑑賞の媒介となる。石,粘土,金属,ガラス,木材,乾漆,象牙,蠟など,およそ立体的造形に適応するすべての材料が利用され,近代・現代では,合成樹脂,鉄材その他が利用される。

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大辞林 第三版の解説

ちょうこく【彫刻】

( 名 ) スル
ほりきざむこと。
石や木などをほりきざんだり、または粘土や蠟ろうなどを肉付けしたりしてものの像を立体的にかたちづくる芸術。彫像と塑像。彫塑。 「象牙に-する」
板木に文字・絵をほること。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

彫刻
ちょうこく

造形芸術の一分野。古く日本では、彫鏤(ちょうる)、雕琢(ちょうたく)などの語を用いてきたが、1873年(明治6)のウィーン万国博覧会に牙彫(げちょう)や木刻などの彫り物carvingを出品するに際し、英語のsculptureの訳として彫刻の語をあてたが、のちに塑造(そぞう)modelingの意も加えて彫塑ともよぶようになった。20世紀に入り、各種のオブジェobjet(フランス語)や構成物constructionが出現するに及び、彫刻は字義を超えて、今日ではさらに配置や設置installationまでも含むこととなり、その概念をますます拡張しつつある。したがって、これらをまとめてひと口に定義することはきわめて困難になってきており、彫刻とは素材を用いて三次元空間に立体形象を造形する芸術形式である、と緩やかに規定するのが妥当であろう。[三田村右]

彫刻の種類と素材

種類は素材と制作工法で分けられるが、制作工法には、素材そのものを作品に仕上げる直接法と、原型を他の素材に置き換える間接法とがある。[三田村右]
直接法
実材彫刻ともいう。これには貝殻や動物の骨、角(つの)、牙(きば)などその素材の制約から小品の工芸装飾として発達してきた系統と、木や石などによるより大掛りな造形とに大別できる。いずれも、まず単純な線刻からしだいに浅浮彫り、深彫りへと進み、独立した丸彫りへと発展した。
 獣骨や牙は精緻(せいち)な細工に向いており、象牙を彫った日本の根付けは今日でも世界で珍重されている。貝類はその光沢や色合いの美しさから、浮彫りして装身具(カメオなど)に用いられている。木は肌触りや香りがよく削りやすいので、大小の彫刻に広く用いられてきた。日本ではとくに、ヒノキ材による仏像彫刻が盛んで、その技法も一木造(いちぼくづくり)から、矧付(はぎつ)けによる寄木(よせぎ)造、軽量化のための内刳(うちぐ)りなどが発達した。西欧でも、古代エジプトやゴシック時代には木彫もつくられたが、石彫がより一般的である。崩れてしまったであろうもろい砂岩や泥板岩、蝋石(ろうせき)などのあとに、硬い燧石(ひうちいし)の鑿(のみ)で刻んだ方解石や石灰岩による彫刻がつくられ、金属製の工具の発達に伴い、より硬い花崗(かこう)岩や玄武岩に永遠不動のイメージが刻まれた。しかし、もっとも多く用いられたのは大理石である。中国の産地名からとってよばれているこの石は、石灰岩の変成によって方解石化した粗粒の結晶で、多くは白色、適度な粘性を有するので、これを多く産するエジプトからイタリアにかけて彫刻の主要な材料とされてきた。
 こうした彫刻が、おもに限定された大きさの素材のなかで求心的に彫り進められるのに対し、塑造は遠心的に形づくられる。土を固め干しただけの泥塑から発展したそれは、古来日本で素(そ)あるいは(ねん)などとよばれ、塑土に寸莎(すさ)を混ぜて剥落(はくらく)を防ぎ、雲母(うんも)粉を混ぜて彩色を容易にした。素を焼き固めたのが素焼(テラコッタ)であり、釉薬(ゆうやく)をかけて二度焼きし陶彫としたものもある。また、中国や日本の独特な素材に、(そく)または即(そく)、夾紵(きょうちょ)とよばれた乾漆(かんしつ)がある。木を心材とし、生漆(きうるし)を木くずと練り合わせて盛り上げたものを木心乾漆、粘土の大まかな原型に麻布を漆で貼(は)り重ねたのち、粘土を取り除き仕上げたものを脱乾漆という。さらに、金属板を打ち出してレリーフ状にした押出し、それを表裏あわせて一体とした鎚(ついちょう)がある。[三田村右]
間接法
塑造の多くは、耐久性に劣るので、通常、他の素材に置き換えられる。小品や精密な原型は蝋(ろう)で形づくられるが、今日、一般には、天然の蛙目(がいろめ)粘土や人造粘土(油土)で原型をつくる。その原型に、水で溶いた石膏(せっこう)を塗布し厚みをつけ、硬化したところで内部の粘土を掻(か)き出して雌型とし、その内側に石膏液を流し込んで硬化したのち、雌型を割って取り出したのが石膏像である。雌型を砂でつくり、金属を流し込んだのが鋳造で、銅と錫(すず)の合金を青銅、それを金で鍍金(ときん)(めっき)したものを金銅(こんどう)という。これらは、雌型を保存しておけば、いくつも同型の複製品をつくることができる。
 こうした伝統的な素材、技術のほかに、現代ではさまざまな開発が盛んである。古来、鋳造や鍛造によって形づくられてきた金属も、工業化によって薄板や棒材が容易に生産されるようになって、切断や溶接も自由になり、木も積層板の普及、電動工具の開発によって、その扱われ方が大きく変化した。さらに、プラスチック板や透明アクリル、鏡面加工されたステンレス鋼などの新素材は、接合・接着技術の進展と相まって、従来にない構成物や集合彫刻を生み出している。セメントやポリエステル樹脂による注型や成型も盛んである。また、素材とはいいにくい既製品によるオブジェ、廃品を寄せ集めたアッサンブラージュなどのほか、大地を掘ったりするランド・アートとか、土、砂、水、空気、霧、泡、煙といった原素材への回帰も試みられている。また光、音、映像イメージとのメディアの混合mixed mediaとか、風や磁石、電気によって動くキネティック彫刻も現れて、永遠不動とされてきた彫刻も時代とともに揺れ動いている。[三田村右]

彫刻の歴史


西洋
現存するもっとも古い彫刻はおよそ3万年前、旧石器時代後期の狩猟民が洞窟(どうくつ)の粘土壁に動物を刻んだ絵画と彫刻の中間形式の深浮彫りで、フランスのアングル・シュル・ラングランのものは10メートルにわたって展開されている。丸彫りはやや遅れて、牧畜民が多産・豊穣(ほうじょう)を祈願して制作したと推定される石灰石製の高さ11センチメートルの小像、オーストリアのビレンドルフ出土の女性裸像(ビレンドルフのビーナス)などが知られる。
 ずっと下ってエジプトでは、ピラミッドも建造された紀元前28~前23世紀にかけて、スフィンクスをはじめ正面と側面が併存した彩色薄肉浮彫りや木彫像、石による正面観照性の王や王妃の記念碑的肖像彫刻が早くも古典的完成の域に達していた。前20世紀前後には青銅像も鋳造され、数世紀後には黄金の「ツタンカーメンのマスク」のように華麗な装飾彫刻もつくられた。先行して発達したメソポタミアでは、やがて「有翼人面牛神像」など堂々たる石彫のほかに、バビロンのイシュタル門を飾る彩釉(さいゆう)れんが製の浅浮彫りなど、力動感にあふれる表現が見受けられる。
 クレタ島を中心とするエーゲ文明を受け継いだギリシアでは、前6世紀ごろから大理石による等身大を超える彫像が大いに発達した。初期には石の柱身から抜け出しきれず姿態もぎこちないが、アルカイック・スマイルをもつ清楚(せいそ)な若者の像が多い。パルテノン神殿が築かれた前5世紀なかばから100年足らずの古典期には、正面性から解放されて、より自由なポーズとなり、理想的調和の美が確立された。前期にはパルテノン破風(はふ)彫刻のフェイディアス、『円盤投げ』のミロン、『槍(やり)をかつぐ男』のポリクレイトスが活躍し、後期にはピタゴラス派の数学理論を適用しカノンを定めたスコパス、八等身の美を創造したリシッポス、『ヘルメス像』のプラクシテレスらの名が知られている。また、この間に、アルテミシオン岬沖出土の『ポセイドン』など気迫に満ちたブロンズ像も制作されたが、現存するものは少ない。前4世紀なかばからおよそ2世紀間のヘレニズム期になると、『ミロのビーナス』『サモトラキのニケ』など、作者不明の謎(なぞ)に包まれた傑作が生まれる一方、『ラオコーン』『瀕死(ひんし)のガリア人』のように感情表現が激しくなるが、やがて彫刻は衰退する。
 ギリシアを滅ぼしたローマは、その彫刻技術を受け継ぎ、多くの模刻を残すとともに、理想美から現実へ関心が移り、エトルリアの肖像彫刻の影響から『アグリッパ』『ブルータス』、青銅の『マルクス・アウレリウス帝騎馬像』などに写実的な力強さを示した。
 キリスト教が公認された4世紀以降、偶像が禁じられて、彫刻はもっぱら装飾的な植物や動物のレリーフに限られたが、10世紀に石で教会が建てられるロマネスク時代に入り、さらに12世紀にゴシック時代に移って彫刻は教旨伝道のための石の聖書として、教会堂建築の柱や壁面におびただしく刻まれるようになった。フランスのシャルトル大聖堂、パリのノートル・ダム大聖堂の胴長な使徒や怪奇な動物群は、この時代の宗教的イデーをよく物語っている。
 イタリアにおこったルネサンスでは、国内の随所にみられるローマの古典に着想を得て、聖書からではなく神話に題材を求めるようになり、中世には軽蔑(けいべつ)された写実的な人間像が復興した。15世紀初頭の洗礼堂門扉(もんぴ)のコンクールで幕を開けたフィレンツェでは、ギベルティが透視法にのっとった浮彫りでまず名をあげ、自然主義的技法で多くの肖像を残したドナテッロ、彩色陶彫のルカ・デッラ・ロッビア、ブロンズ像を得意としたベロッキオ、チェッリーニらが相次いで活躍した。なかでも、4メートルを超える『ダビデ』像によって16世紀の到来を告げたミケランジェロは、未完の絶作『ロンダニーニのピエタ』に至る長い生涯に、数多くの壮大な人像を刻むとともに、バチカン宮殿の設計に加わりシスティナ礼拝堂の天井画を描いて、ルネサンス期最大の芸術家とたたえられた。17世紀のバロック時代は、マニエリスティックなミケランジェロ様式の継承ともいわれる。ベルニーニは際だった技巧で官能的な幻想を刻み、それを弟子たちが噴水や庭園に適用し、フランスに移って曲線を自由に取り入れたロココ様式の室内装飾彫刻へと変容する。また、肖像を得意としたウードンは、新興国アメリカにも出かけて作品を残した。
 近代に入ると、ギリシアのヘレニズム期を範とした古典主義が盛んになる。カノーバやトルバルセンらは、ローマにあって優美に大理石を刻み、王侯貴族の庇護(ひご)の下に一世を風靡(ふうび)した。次の世代のリュードやカルポーはより情熱的、流動的で、ロマン的ナショナリズムの傾向を鼓吹している。19世紀後半に活躍したロダンは、彫刻を権力や建築の装飾物から解放し、自立した芸術として確立させた点で近代彫刻の祖ともいわれる。塑像『青銅時代』では、整った美というより、ときに醜いとさえみえる徹底した写実で生命の現実を追求し、『カレーの市民』では、彫刻を高い台座の上から人々の地平に引き下ろす試みをしている。その弟子ブールデル、マイヨール、デスピオらは、より空間的に塑像を構築しようとした。
 20世紀に入ると、具象彫刻はしだいに解体していく。ブランクーシは純化した形態に神秘な瞑想(めいそう)を込めた『鳥』などの連作で、新しい様式の先駆けをなした。同じころ、ロッソは幻想的な人像を、未来派のボッチョーニはダイナミックな動きを試み、キュビストたちが対象を多角的に分解した。これらはまだ具象の域を出なかったけれども、ロシア革命前期の構成主義者たちは、より急進的に抽象を目ざし、対象物から彫刻を解放した。と同時に、ペブスナーとガボの兄弟は量塊による実材のかわりに、透明な合成樹脂板や線材を用いて開かれた空間の構成を開拓し、マレービチは幾何形体を組み合わせたアーキテクトニックを、リシツキーは構築的なプロウンを提唱した。また、ガボはモーターで動く振動彫刻をつくり、モホリ・ナギは『空間調整器』によって光をも要素に取り入れた。可動な『第三インターナショナル記念塔』の模型をつくったタトリンは、「反レリーフ」などの新しい壁面構成の領域を開いた。さらに、フランスのデュシャンは既製品によるオブジェを、アメリカのコルダーは風で動くモビールを、スペインのゴンザレスは鉄の溶接による集合彫刻を生み出している。
 第二次世界大戦後は、有機的な半具象形態によって人間の深層を表そうとするアルプ、ムーア、ジャコメッティ、西洋彫刻の伝統に回帰し新しい感覚で具象を復活しようとするイタリアのマリーニ、マンズー、エミリオ・グレコらの塑像が一般の人々の共感を得た。一方、1950年代終わりごろからは、従来の彫刻概念をはみだす兆候が目だち、廃品を圧縮固形化するセザールBaldaccini Csar(1921―98)、人体からじかに人型を採取するシーガル、布製オブジェのオルデンバーグら、アメリカを中心に現代消費文化を背景とするポップ・アーチストたちが出現してきた。また、ティンゲリーやシェフェールのキネティック、物質性を排除し彩色するミニマル・アート、クリストの梱包(こんぽう)やランド・アート、さらに行為や非物質的メディアの導入は、不動の物体による形体表示であった彫刻概念の変更を余儀なくさせるだけでなく、ひいては造形美術全般の概念規定の変革をもたらしつつある。[三田村右]
日本
縄文時代に魔除(まよ)けや出産の呪物(じゅぶつ)としてつくられた土偶(どぐう)が、わが国に現存する最古の彫刻である。このおおらかに造形された超現実的な人形像に続いて、古墳時代にはやや形の整った埴輪(はにわ)が葬送儀礼用に古墳を飾るようになる。これらはいずれも仏教文化輸入以前のもので、大陸彫塑の影響をほとんど受けずに生まれたものだけに、単純素朴ではあるが、古代人のおおらかな人間感情が率直に表れており、日本人の彫刻に対する原初的な感覚を知るためにも注目すべきものである。
 飛鳥(あすか)時代に入ると、大陸から仏教とともに仏教彫刻の技法も急速に伝えられ、渡来した技術者を中心に多くの仏像がつくられた。その多くは口もとにアルカイック・スマイルをたたえた正面観照性の像で、法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像、救世(ぐぜ)観音像、百済(くだら)観音像、中宮寺と広隆寺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像などが代表作である。これ以後の日本の彫刻は、ほとんど仏像彫刻によって占められることとなるが、奈良時代はとくにその最盛期といわれ、大陸伝承の木彫、塑造、乾漆、鋳造の諸技術が大きく進歩し、表現も写実的となって、静かな精神美、豊かさ、雄大さ、高雅、優美、怒りなど、人間の現実性を率直に表しながら理想像を求めた。代表作としては、薬師寺の薬師三尊像、興福寺の十大弟子像、八部衆像、東大寺法華堂(ほっけどう)の諸像、唐招提寺(とうしょうだいじ)の鑑真(がんじん)像や法隆寺の行信像などきわめて多くを数え、まさに仏像彫刻の黄金時代を現出している。
 平安時代になると塑像や乾漆が衰えて木彫が盛んになる。この時代の前半10世紀なかばごろまでのいわゆる貞観(じょうがん)彫刻においては、1本の木で体躯(たいく)の主要部を刻む一木造(いちぼくづくり)が特徴で、漆箔(うるしはく)や彩色を施さず木肌の美しさを生かした像も多い。またこのころ始められた密教の影響で、神護(じんご)寺の薬師如来(にょらい)像、観心寺の如意輪観音像など、神秘的な厳しさと力強さをもつ像も多くつくられた。平安後期になると、大陸の影響下に発展してきた日本の彫刻様式は、しだいに日本独自のものに変化していく。11世紀前半に活躍した定朝(じょうちょう)はこうした和風化を大成した仏師として知られる。彼の手になる平等院鳳凰(ほうおう)堂の阿弥陀(あみだ)如来像は穏やかな明るさと洗練された美しさにあふれ、こうした作風は定朝様とよばれて後世の仏像の規範とされた。彼はまた従来の一木造から画期的な寄木造の造像法を完成したといわれ、仏師の組織化をはかったことでも知られている。なおこの時代には仏像の影響を受けて神像もつくられ始めており、東寺の三神像(9世紀)はその最古のものとされている。
 写実的な彫刻が復活した鎌倉時代には、定朝の系統を引く運慶(うんけい)、その子の湛慶(たんけい)・康弁・康勝、兄弟弟子の快慶らが現れて、それぞれ個性的な作品を残した。運慶による興福寺の無著(むじゃく)像、世親像、康弁による同寺の天灯鬼像、竜灯鬼像、湛慶による高知雪蹊(せっけい)寺の多聞(たもん)天、快慶による東大寺の阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、僧形八幡(はちまん)神像などがそれらの代表作であり、作家は不明ながら東大寺の重源(ちょうげん)像、鎌倉明月院の上杉重房(しげふさ)像などは、この時代の写実性をよく体現した肖像彫刻の秀作であるといえる。
 室町・桃山時代には仏像彫刻に優れたものはみられないが、このころ大成された能楽に用いる能面の作家として活躍した赤鶴(しゃくづる)、竜右衛門らの名は忘れられないし、桃山時代には建築の装飾彫刻が盛行し、欄間などに豪華な浮彫りや透(すかし)彫りが行われるようになった。この傾向は江戸時代にも引き継がれており、日光東照宮の装飾彫刻はその華麗を極める代表例の一つである。江戸期には仏像彫刻も数多くつくられてはいるが秀作は少なく、わずかに遊行の僧円空(えんくう)や木喰(もくじき)らによる木彫像が数えられるにすぎない。むしろ江戸町人文化のなかで盛んにつくられた印籠(いんろう)、根付け、櫛(くし)、簪(かんざし)などの日用品や装身具に、金や象牙(ぞうげ)を用いて人物、鳥獣などの精細な彫刻がなされたことが注目される。
 明治維新後は1876年(明治9)に政府の招きで工部大学美術学校の教授としてイタリア人ラグーザが来日し、塑造や大理石彫刻などの西欧の技術を伝えたのを皮切りに、野外の記念像などの大作も日本人の手でつくられるようになった。1887年には東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)が開かれ、フェノロサや岡倉天心によって日本古来の木彫が再認識され、98年には同校に塑造科も開かれ、竹内久一、高村光雲、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)らが木彫、荻原守衛(おぎわらもりえ)、朝倉文夫らが塑造の指導にあたった。この時代の作品としては、ラグーザの『日本の婦人像』、光雲の『老猿(ろうえん)』、守衛の『女』、文夫の『墓守(はかもり)』などのほか、光雲が東京美術学校の職員たちを指導してつくった『西郷隆盛(さいごうたかもり)像』や『楠木正成(くすのきまさしげ)像』などの銅像もよく知られている。その後、白樺(しらかば)派の文学者によってロダンの作品が紹介されて日本の彫刻にも外面的写実性に量感が与えられるようになり、以後大正から昭和にかけてはマイヨール、ブールデルらの新作風が輸入された。
 1935年(昭和10)には帝国美術院改組を契機に美術界に対する官僚統制が急激に強化され、それに対立するグループの運動が激化する局面も生まれたが、日中戦争の拡大、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とその泥沼化によって、美術界は完全に疲弊し沈滞した。45年(昭和20)の敗戦がそうした美術界にとって蘇生(そせい)の転機となったことはいうまでもないが、あらゆる抑圧から解放された自由な息吹が美術界にみなぎり、その本格的な活動が始まるのは50年代に入ってからのことである。また、第二次世界大戦前の官展を民営に改組(1958)した日展にもなおアカデミズムが支配的であることに対抗して、在野の二科会、国画会、新制作派協会、自由美術協会、一陽会、二紀会、モダンアート協会などが彫刻部を設けて集団現代彫刻の道を開き、前衛的彫刻に独自の成果をあげたことも特筆される。
 しかし第二次世界大戦後の著しい傾向は、従来の美術団体中心の活動が個人的活躍へと重点を移したこと、また国際化によって海外からの直接的刺激が彫刻の現代化に拍車をかけたことである。そのなかで抽象彫刻が出現し、伝統的写実彫刻も量塊をそぎ落として造形の簡素化・単純化の方向をみせた。また素材の面でも、木、石、ブロンズなどにとどまらず、鉄、ステンレス、アルミニウム、セメント、プラスチック、ガラスをはじめ、廃材や器物の利用にまで目が向けられている。さらに空間の概念が拡大した結果、彫刻は室内という狭い密閉空間から野外へ進出し、光を取り入れ、動きの要素まで組み入れ、四囲の環境を考慮して、従来のモニュメントとしての銅像などにかわり都市空間を構成する方向へも進んでいる。いまや彫刻という古典的な独自の領域をもつ概念は消え、絵画、工芸、建築といったジャンルとの境界も薄れて、現代彫刻は新たな命名を必要とする立体造形に変わりつつあるといえよう。
 なお、日本を含めたインド、中国、朝鮮などの仏教関係の彫刻については、「金銅仏」「仏像」の項目に詳述してある。[佐藤昭夫]
『リュック・ブノワ著、西村滋人訳『彫刻の歴史』(白水社・文庫クセジュ) ▽ハーバート・リード著、二見史郎訳『近代彫刻史』(1965・紀伊國屋書店) ▽中原佑介著『現代彫刻』(1982・美術出版社) ▽河北倫明他監修『世界の美術12 日本の彫刻』(1976・世界文化社) ▽久野健編『日本の彫刻』(1959・吉川弘文館) ▽座右宝刊行会編『世界彫刻美術全集』全13巻(1974~77・小学館)』

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世界大百科事典内の彫刻の言及

【美術】より

…〈美術〉という語は東洋古来のものではなく,西洋でいうボーザールbeaux‐arts(フランス語),ファイン・アーツfine arts(英語),ベレ・アルティbelle arti(イタリア語),シェーネ・キュンステschöne Künste(ドイツ語)などの直訳であり,日本では明治初期以降用いられた。美の表現を目的とする芸術を意味し,したがって絵画,彫刻,建築,工芸などのほか,詩歌,音楽,演劇,舞踊などをも含むものとされた。明治時代には文学も美術に加えられていた(坪内逍遥《小説総論》など)。…

【木彫】より

…木を素材とした彫刻,浮彫。木材は,石材,テラコッタ,ブロンズ(青銅)などとともにもっとも一般的な彫刻用素材であり,木材の産出する地域では手に入れやすいため,丸彫彫刻のみならず,建築,家具などの装飾や工芸品の素材としても多用された。…

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