日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザイス・インクバルト」の意味・わかりやすい解説
ザイス・インクバルト
ざいすいんくばると
Arthur Seyss-Inquart
(1892―1946)
オーストリアのナチス運動の指導者。カトリック系の高等学校長の子として生まれる。ウィーン大学で法律を学ぶ。第一次世界大戦では北イタリア戦線で戦い、復員後ウィーンで弁護士になる。のちにカトリック系の反マルクス主義的、反ユダヤ主義的で、ドイツとオーストリアの合併を主張する大ドイツ民族主義的な団体「ドイツ共同体」Deutsche Gemeinschaftに入って活躍した。1929年にはオーストリア・ナチス党に入る。1934年7月ドルフス首相が暗殺されると、シューシュニク首相に協力する一方、オーストリア・ナチス党急進派とも連携し、1938年2月内相・警察長官となった。同年3月12日オーストリア首相になり、ゲーリングの電話指示でドイツ軍出動を要請し、ドイツ・オーストリア合邦(アンシュルス)を実現させた。第二次世界大戦中は、ポーランド行政長官代理(1939~1940)、ついでオランダ占領地民政長官(1940~1945)となり、芸術品や消費財を奪い、500万人のオランダ人を労働力としてドイツに送り込み、14万人のユダヤ人を強制収容所に送った。戦後ニュルンベルク国際軍事裁判ではこれらの罪を問われ、絞首刑に処せられた。
[吉田輝夫]