ジュハル・スタント(読み)林 文鏡(その他表記)Djuhar Sutanto

現代外国人名録2016 「ジュハル・スタント」の解説

ジュハル・スタント
林 文鏡
Djuhar Sutanto

職業・肩書
実業家

国籍
インドネシア

生年月日
1928年

出生地
中国・福建省福州

経歴
中国の福州市に生まれるが、7歳の時、家族とともにインドネシアに渡る。その際同じ船に乗り合わせた同郷のスドノ・サリムがスハルト政権時代に華僑財閥サリム・グループを築き上げるが、その側近としてかじ取りを担ったとされる。1990年当時福州市書記であった習近平とともに“福清貧困脱出計画”プロジェクトを始め、中核事業として父の名を冠した経済開発区・洪寛工業村を設立し、海外企業の工場誘致に奔走。福州市は全国トップレベルの経済成長を達成した。その後、不動産開発事業を全国に拡大し、華僑富豪番付で2012年には総資産250億元(約3200億円)の世界4位に入った。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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