改訂新版 世界大百科事典 「ボイチェホフスキ」の意味・わかりやすい解説
ボイチェホフスキ
Stanisław Wojciechowski
生没年:1869-1953
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…この結果,政府は不安定な議会多数派に依存することとなり,しばしば行動不能に陥った。1922年初代大統領に選ばれたナルトビチGabriel Narutowicz(1865‐1922)はその年の12月に暗殺され,ボイチェホフスキStanisław Wojciechowski(1869‐1953)が後を継いだ。 国境問題は隣接国家との激しい緊張を引き起こした。…
…この結果,政府は不安定な議会多数派に依存することとなり,しばしば行動不能に陥った。1922年初代大統領に選ばれたナルトビチGabriel Narutowicz(1865‐1922)はその年の12月に暗殺され,ボイチェホフスキStanisław Wojciechowski(1869‐1953)が後を継いだ。 国境問題は隣接国家との激しい緊張を引き起こした。…
※「ボイチェホフスキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...