ポーランド社会党(読み)ポーランドしゃかいとう(英語表記)Polska Partia Socjalistyczna

改訂新版 世界大百科事典 「ポーランド社会党」の意味・わかりやすい解説

ポーランド社会党 (ポーランドしゃかいとう)
Polska Partia Socjalistyczna

19世紀末から第2次大戦後にかけて存在したポーランドの社会主義政党略称PPS。民族主義的傾向と多元主義への帰依を特徴とする。1892年創立。当初ロシア領で活動。独立問題をめぐってポーランド王国・リトアニア社会民主党(共産党前身。ローザ・ルクセンブルクの党として有名)と論争した。1905年の第1次ロシア革命で大いに党勢を伸ばしたが,翌年左右両派に分裂左派はのちに共産党に合流した。右派は当初革命派と名のり,のちに社会党の名を継ぐ。第1次大戦中,同党出身のJ.ピウスーツキの独立運動を支持し,独立後は初代の政府に参加,19年オーストリア領社会民主党,プロイセン領社会党と合同,議会左翼を形成した。26年のピウスーツキクーデタを支持したが,のちに撤回し,30年代には権威主義的政府に対する主要な野党勢力となる。第2次大戦中抵抗運動に加わり,亡命政府の一翼を担う。戦後容共派と独立派に分裂し,容共派は48年労働者党(共産党)と合同,ポーランド統一労働者党を形成した。独立派は弾圧されるが,ロンドンに亡命組織が存続している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポーランド社会党」の意味・わかりやすい解説

ポーランド社会党
ポーランドしゃかいとう
Polskie Partia Socjalne

略称 PPS。 1892年ロシア領ポーランドの社会主義運動家によりパリ集会で結成された政党。ポーランドの独立回復を中心目標にしていた。 1904年には武装闘争に入り,ロシア官憲に対するテロを展開したが,ウィーンの第9回集会で分裂。第1次世界大戦中は革命派の J.K.ピウスツキ路線で結集。 19年旧オーストリア領の社会民主党と旧プロシア領の社会党は合体し,第2次世界大戦前まで合法政党として存続した。ピウスツキ政権下の分裂と第2次世界大戦中の指導部のロンドンへの亡命後,その左派が 44年のポーランド国民解放委員会の成立に参加。 48年労働者党と合体してポーランド統一労働者党となった。

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世界大百科事典(旧版)内のポーランド社会党の言及

【ロシア革命】より

…地主たちは一時は領地放棄を考えたが,やがて実力自衛策をとり,全体として右翼化する。 12月2日,ペテルブルグ・ソビエト,農民同盟,社会民主党両派(ボリシェビキとメンシェビキ),エス・エル党,ポーランド社会党の6者が,国庫への納税拒否を呼びかける〈財政宣言〉を発すると,態勢を立て直し弾圧の機をうかがっていた政府は,翌日,ペテルブルグ・ソビエトの代議員全員を逮捕した。12月7日モスクワで始まった大抗議ストに対し,当局は武装自衛隊に攻撃をしかけ,バリケードをつくって抵抗する労働者をペテルブルグとポーランドからの増援軍によって粉砕した。…

※「ポーランド社会党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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