改訂新版 世界大百科事典 「マフムードカシュガリー」の意味・わかりやすい解説
マフムード・カシュガリー
Maḥmūd al-Kāshgharī
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…オスマン帝国起源論争は,また,トルコ人自身の手によるトルコ学研究の発達を促した。 トルコ人によるトルコ学研究は,その起源を11世紀のマフムード・カシュガリーによる《チュルク語辞典(チュルク語語彙集)》にまでさかのぼることができるが,19世紀末の民族主義思想の発展とともに,その担い手であるジヤ・ギョカルプらによって確立された。1908年の〈青年トルコ〉革命後発行された《母国トルコ》誌を通じて活動したアクチュラ,アフメト・アーオウルAhmet Ağaoğlu(1869‐1939)ら,中央アジアから亡命したトルコ人の役割が大きかった。…
※「マフムードカシュガリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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