メリー・ウィドウ

世界大百科事典(旧版)内のメリー・ウィドウの言及

【コマールノ】より

…中世そのままの古い城砦は16世紀の対トルコ戦争,1848‐49年のハンガリー革命軍の対オーストリア防衛戦に重要な役割を果たした。喜歌劇《メリー・ウィドウ》の作曲家レハールFranz Lehár(1870‐1948)の生誕地。【稲野 強】。…

【レハール】より

…ドイツ人軍楽隊長とハンガリー人の女性を両親とするレハールは,プラハ音楽院でバイオリンと作曲を修め,応召して軍楽隊長を務めながら作曲に励んだ。1902年に軍務を退いて作曲と指揮に専念し,05年ウィーンで初演した《メリー・ウィドウDie lustige Witwe》でオペレッタ史上空前の成功を収めた。第1次大戦後はアメリカから押し寄せたポピュラー音楽に人気を奪われたが,名テノール歌手タウバーRichard Tauber(1891‐1948)のために書いた一連の作品(《ほほえみの国》1929など)で人気を回復した。…

※「メリー・ウィドウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android