チュメン(英語表記)Tyumen'

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チュメン」の意味・わかりやすい解説

チュメン
Tyumen'

ロシア中部,西シベリア,チュメン州の州都。西シベリア低地南西部,オビ川水系トゥラー川にのぞむ河港都市。 14世紀に起源をもつタタール人の町チンギトゥラーのあったところに,1586年ロシアの城塞都市としてつくられた。 19世紀末鉄道が敷設されると,貨物の積替え地として栄えた。ロシア革命後工業も発展し,造船,船舶修理,電機鍛造・プレス設備,医療設備,木材加工,合板,プレハブ家屋,毛皮加工,製靴ラシャなどの工業が盛んとなった。 1960年代から始ったオビ川沿岸のチュメン油田の開発は,この地域の中心である市の発展,人口の増加を促した。工科・建築,農業,教育,医科,産業の各大学,郷土博物館がある。市から石油産地スルグートへ鉄道が延び,パイプラインも通じている。鉄道分岐点で,空港もある。人口 58万1758(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチュメンの言及

【突厥】より

…その下に小可汗(小ハガン),葉護(ヤブグ)などの諸侯がいて,支配階層を形成した。アルタイ山脈の南西麓にいた阿史那氏の族長土門(チュメンTümän)はジュンガリアの鉄勒諸部を服属させたのち,552年に柔然を倒して伊利(イルリグIllig)可汗(ブミンBumïn可汗)と称し,モンゴリアの遊牧騎馬民を統合する一方,弟の室点蜜(しつてんみつ)(イステミIstämi可汗,ビザンティン史料のシルジブロスSilziboulosまたはディザブロスDizaboulos)は,エフタルを滅ぼして(567)ソグディアナを手中にし,天山山脈中のユルドゥズ渓谷を本拠とする西面可汗として中央アジアを掌握した。土門の子,木杆(ムカン)可汗のとき柔然を滅亡させ(555),ついで吐谷渾(とよくこん),契丹,キルギスを併せ,ユチュケン山を本拠として発展をとげた。…

※「チュメン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android