タタール人(読み)たたーるじん(英語表記)Tatarin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タタール人」の意味・わかりやすい解説

タタール人
たたーるじん
Tatarin

西トルキスタンを除く旧ソ連領内のトルコ系住民の総称イスラム教徒が多い。その大部分はヨーロッパ・ロシアに住むが、彼らは13世紀のモンゴル西征軍に従ってきたトルコ人の子孫ブルガリア人、フィン人、カフカス人などと混血したものである。このタタール人名称が、フィン人、サモエード人、モンゴル人などと混血したトルコ系のシベリア住民にも拡大適用され、旧ソ連領内の北方トルコ系住民は行政上すべてタタール人とよばれることになった。ソ連時代は、タタール自治ソビエト社会主義共和国であったが、ソ連崩壊後の1992年ロシア連邦内の共和国(タタールスタン共和国)となった。タタール人のなかには、1917年のロシア革命(十月革命)に際し、日本に亡命してトルコ共和国国籍を取得し、のちトルコへ移住した者も多い。

[護 雅夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タタール人」の意味・わかりやすい解説

タタール人
タタールじん
Tatar

ウラル山脈の西,ボルガ川とその支流のカマ川の流域に住むチュルク語系の一民族で,ロシア,タタルスタン共和国の基幹住民。同共和国以外の地域にも広く定住しており,中国領にも約 6000人が居住している。旧ソ連領内の人口は約 500万。キプチャク族その他の南ロシア草原の遊牧民と古ブルガール人の子孫によって構成され,農耕牧畜を兼ね,伝統的な手工芸に巧みである。また古くから交易を得意とした。 14世紀以来,イスラム教徒となったが,それ以前の民間信仰もみられる。このほか,アルタイ山地チュルク語系諸族をアルタイ・タタールと呼ぶこともあり,またヨーロッパでは,かつてはチュルク=モンゴル系牧畜民をまとめてタタールと呼んだ。

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