旺文社世界史事典 三訂版 「ブルグント族」の解説
ブルグント族
ブルグントぞく
Burgund
ドイツのオーデル・ウィスラ両川の中流地方にいたが,民族大移動期の5世紀半ばに南下して,マイン川南岸からライン川中流にかけてブルグント王国を建設。フランク王国と交戦し,534年征服された。中世叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の舞台。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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…人種的構成は5世紀のゲルマン人の大移動のときに決まり,現在まで不変である。アルプスの南側に侵入し,最も早くローマ化したランゴバルド族はイタリア語を,スイスの西部地域に入ったブルグント族はフランス語を,ライン川を渡ってアーレ川の線まで進出したアレマン族Alemannenはローマ化をまったくせず,ドイツ語を話すようになった。ゲルマン人に追われてアルプス東部山中に踏みとどまったラエティア人はレト・ロマン語を保持しつづけた。…
…443‐534年。ゲルマン人の一部族で,スカンジナビア半島を故地とするブルグント族は,300年以後マイン川両岸流域に定住していたが,406年ローマ帝国の領内に侵入することに成功した後,413年ローマの同盟者としてライン川西方地域に植民した。436年彼らは西方に勢力を伸ばそうと企てるが,フン族の援軍の力を借りたローマの将軍アエティウスのために壊滅的打撃を被った。…
…長さ480kmのソーヌ川本流は,0.15/1000という緩い勾配をもつおだやかな河川で,女性の冠詞をつけて呼ばれ,男性的なローヌ川とは対照的である。
[歴史]
ブルゴーニュの地名はラテン語のブルグンディアBurgundiaに由来しており,ブルグント族の土地あるいは王国を指している。ブルグント族はもとバルト海沿岸に住んでいたゲルマン系の部族で,のちしだいに南西進して5世紀中葉に現在のサボア地方に到達し,同世紀末にはローヌ・ソーヌ川流域に広がって6世紀初めに王国をつくった。…
…第2の波は406‐407年の冬,ラインを渡りガリアを席巻したバンダル,スエビ,アランの諸族で,彼らは409年にはスペインに入り,バンダルはさらに429年マウレタニアに渡り,漸次東進し,カルタゴを占領(439),442年のローマとの条約で今日のチュニジアとリビア西部に独立国(バンダル王国)をつくった。この間にガリアのアルモリカでは農民反乱であるバガウダイの乱が鎮圧されず,ブルグント族もライン下流を渡り進出し,ガリアに入った。ローマの将軍アエティウスはフン族にブルグンドを討たせて2万人を殺戮した。…
※「ブルグント族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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